きみといると(1)

かがみふみを
エロまんがを書いているとは信じられないじれったさ。すばらしい。読んだこと無いけど>かがみふみをのエロまんが


昔話をちょっと。
大学時代、山奥にある大学に通っていました。山奥なので自動車は必須。なので、家に無理を言って一台譲ってもらいました。
大学のある街から実家までは結構な距離がありましたが、うまい高速道路がなかったのでえっちらおっちら国道を下っていく羽目になりました。
で、ある年、道ばたのファミレスに入って食事を使用としたとき、たまたまバイトとして新人で入ったばかりらしき舌足らずの女の子が給仕をしてくれました。あまりにその舌足らずで必死な姿に萌え、実家に帰るたびにそのファミレスに入っては、その子がいたりいなかったりということを繰り返していました。
そんな1年後。はたしてその子は給仕に入っていました。そして、あろう事か後輩らしき新人に仕事の仕方を教えていたのです。
わずか1年でここまで成長するものだなぁ、と感心しながらしみじみと見ていたのですが、それ以降彼女を見ることはありませんでした。これはあれだ、卒業しちゃったということですな。
数ヶ月に1回の楽しみは、もろくも崩れ去ってしまったのでした。

人生のモテ期

なんかよくわからないけどもてる時期ってのがあるようです。ご多分に漏れず、私にもモテ期があり、ばっちりモテ期を浪費していました。


多分、第1のモテ期は高校時代だったと思います。ほぼ男子校の中で、クラスでは超地味な学生を演じていましたが、一歩外に出るとそれはそれは華やかな生活を送っていました。部活動はいくつも掛け持ちし、そのそれぞれに活動結果を残し、その上校外の人たちともつるんでいたり、ボランティアをやったり、ボーイスカウトの指導をしたり、まあ、なんというかアクティブでした。その上ゲームをマシン語で作ったり、小説を月産100枚以上書いたり、イラストボードに水彩を描いたり、よくもまぁ時間があったものです。
特に、図書委員会の学外での集まりは非常に盛り上がりました。文学少女・文学少年は良く語るんですよね。いくら話しても終わることがない無駄話のまま、高校3年間は過ぎていきました。もちろん、男性もたくさんいましたし、女性もたくさんいました。
ただ、自分に惹かれて集まっているわけではないと思っていました。単にまめだったんですな。連絡するときにも中心的に折衝したりとか。
で、事務処理と様々な読書の合間合間で毎日が過ぎていったのですが、高校を卒業してからだいぶたって、弟に一言言われて衝撃を受けました。「だってにーちゃん、もてもてだったじゃん」
……モテモテ……だったのか。しまった。適当な女の子に当たりをつけておけばよかった。メンヘラが全体的に多かった気がするけど(^^;)。そりゃ、文学少女だから。


二度目のモテ期は自覚あります。でんでんネットの管理をやっていた頃ですね。
山形大学の地域貢献の一環で、モデムとtelnetでログインできるBBSシステム「でんでんネット」を立ち上げていました。初代管理者の師匠と、二代目管理者の先輩と、三代目管理者の私でまぁ、いろんな事をしました。
そのころ、無駄に広く、多少騒いでも誰からも文句の来ないアパート(倉庫の2階)にすんでいた私は、暇さえあれば全国各地から人を集め、アパートに泊めては馬鹿騒ぎをしていました。あの頃は、確実にいろんな人にモテていたと思います。
ただ、当時常時インターネットに繋がる環境を持っていたのは工学系の大学生ぐらいだったので、ことごとく男性ばかりでしたが(笑)。男性にもてても恋には落ちないなぁ。


三度目のモテ期ははじめて専門学校の先生を始めた頃です。学生よりもちょっとだけ年上で、その代わり経験と知識だけはなぜか山のようにある(伊達に大学に長くいた訳じゃない)という状況だった私は、それはそれは学生にもてました。授業が終わると大挙して学生が押しかけてきて、さんざんなついていました。今でも多く連絡が取れる学生はこの世代ですね。
ただ、当然のことながらゲームプログラマーの卵はほとんどが男性でした。恋の花咲くわけもなく。


というわけで、人生のモテ期を無駄に過ごしてきた自分は、女の子にちやほやされるってどういう気分なんだろう、とか思いながら妄想小説を書いたりするのです。

牧場の思い出

死ぬ間際の走馬燈のようにいろんな事思い出すよ(死ぬな)。


大学時代、なぜか夏休みのたびに牧場に泊まり込んで牛・馬・畑の世話をしていました。だって見つけちゃったんだもん、そんな求人票。
牧場の側でも、求人票を出したは良いけどまさか来るとは思っていなかったらしく、いろいろすったもんだ合った末、結局厩の2階の寮の屋根裏部屋をあてがってもらいました。
はじめの年は人生の師匠として今でもあがめているSさん(なのに連絡先が判らない……)の下で馬の世話を。2年目は1年目の経験を生かして馬と牛と畑の世話を。特に畑は私がいるといないとでは生産性が全然違うらしく何かといってはかり出されていました。
3年目は北海道まで足を伸ばして、役所の斡旋をたどったり(ダメでした)、知人のところに潜り込もうとしたり(ダメでした)、結局親戚に頼んで酪農牧場に一夏泊めてもらいました。お金もらうつもり無かったけど、いちおうお給料もらったっけ。懐かしい。で、このお給料でお酒を買って牧場に送ったら届かなくて戻ってきたという(^^;)。連絡先が足りないなぁ。いろんな意味で。
今牧場に行くのはいろんな意味で難しいけど、当時の記憶をたどる旅ができればと思っています。時間さえあれば。
嗚呼、デスマーチ(;_;)。

夏への扉(isbn:9784152090591)

ロバート・A・ハインライン
おもしろかった。後半、タイムマシンが出てきてからの怒涛の展開はやっぱり燃えますね。でも、「おそうじガール株式会社」のロゴは記憶と違ったなぁ。福島まさみ版の描写を確認したいんだけど、どうにも見つからない。実家かな?


そうそう、新訳でやっと分かったギミックが一つ。「トーゼン・メモリー・チューブ」という制御機器がかなりの頻度で出てきますが(新訳では「トーゼンチューブ」)、これ、連想記憶を司る「真空管」なんですね。チューブって言うからどんな筒だろうと思っていましたが、ばんのうフランクをジェニーに見せるときにチューブにプログラムを入れてばんのうフランクに刺すという描写でやっと分かりました。CPUとメモリが混在しているようなイメージかな。なるほど。