人生のモテ期

なんかよくわからないけどもてる時期ってのがあるようです。ご多分に漏れず、私にもモテ期があり、ばっちりモテ期を浪費していました。


多分、第1のモテ期は高校時代だったと思います。ほぼ男子校の中で、クラスでは超地味な学生を演じていましたが、一歩外に出るとそれはそれは華やかな生活を送っていました。部活動はいくつも掛け持ちし、そのそれぞれに活動結果を残し、その上校外の人たちともつるんでいたり、ボランティアをやったり、ボーイスカウトの指導をしたり、まあ、なんというかアクティブでした。その上ゲームをマシン語で作ったり、小説を月産100枚以上書いたり、イラストボードに水彩を描いたり、よくもまぁ時間があったものです。
特に、図書委員会の学外での集まりは非常に盛り上がりました。文学少女・文学少年は良く語るんですよね。いくら話しても終わることがない無駄話のまま、高校3年間は過ぎていきました。もちろん、男性もたくさんいましたし、女性もたくさんいました。
ただ、自分に惹かれて集まっているわけではないと思っていました。単にまめだったんですな。連絡するときにも中心的に折衝したりとか。
で、事務処理と様々な読書の合間合間で毎日が過ぎていったのですが、高校を卒業してからだいぶたって、弟に一言言われて衝撃を受けました。「だってにーちゃん、もてもてだったじゃん」
……モテモテ……だったのか。しまった。適当な女の子に当たりをつけておけばよかった。メンヘラが全体的に多かった気がするけど(^^;)。そりゃ、文学少女だから。


二度目のモテ期は自覚あります。でんでんネットの管理をやっていた頃ですね。
山形大学の地域貢献の一環で、モデムとtelnetでログインできるBBSシステム「でんでんネット」を立ち上げていました。初代管理者の師匠と、二代目管理者の先輩と、三代目管理者の私でまぁ、いろんな事をしました。
そのころ、無駄に広く、多少騒いでも誰からも文句の来ないアパート(倉庫の2階)にすんでいた私は、暇さえあれば全国各地から人を集め、アパートに泊めては馬鹿騒ぎをしていました。あの頃は、確実にいろんな人にモテていたと思います。
ただ、当時常時インターネットに繋がる環境を持っていたのは工学系の大学生ぐらいだったので、ことごとく男性ばかりでしたが(笑)。男性にもてても恋には落ちないなぁ。


三度目のモテ期ははじめて専門学校の先生を始めた頃です。学生よりもちょっとだけ年上で、その代わり経験と知識だけはなぜか山のようにある(伊達に大学に長くいた訳じゃない)という状況だった私は、それはそれは学生にもてました。授業が終わると大挙して学生が押しかけてきて、さんざんなついていました。今でも多く連絡が取れる学生はこの世代ですね。
ただ、当然のことながらゲームプログラマーの卵はほとんどが男性でした。恋の花咲くわけもなく。


というわけで、人生のモテ期を無駄に過ごしてきた自分は、女の子にちやほやされるってどういう気分なんだろう、とか思いながら妄想小説を書いたりするのです。