キャラ立ちしたBGMのこと

映像作品にはよくBGMとして音楽をつけることがあります。
この音楽、見ていて無視することも出来ない(セリフを聞いて音楽を聴かない、なんて選択はそもそも出来ない)ので、作品の色を濃く残します。
Gガンダムを一度でも見たことがあるのなら「俺のこの手が!」と叫んでいる裏のテーマ曲のストリングス(弦楽器)のイントロが一緒に浮かぶでしょうし、梶浦由記が音楽をつけた真下耕一の一連の作品だと「必殺のテーマ」が流れるたびにそこまでのストーリーや映像を全部さておき大変盛り上がります。また、このコンビの「エル・カザド」なんかだと最終回直前まで不思議言語で流れていたテーマ曲があるとき急に日本語になって歌詞の内容も相まって凄いことに。
ドラえもんならこれ、サザエさんならこれ、ドラゴンボールならこれ、と他の時に引用されると一気に作品世界に引き戻されるテーマがあります。


個人的にこの「キャラ立ちしたBGM」でもかなり成功した例として「あずまんが大王」があると思っています。原作も大ヒットしましたし、アニメも、まあまあヒットしました(アニメとしての作品自体は非常に試行錯誤が見えるものでしたが、まあ、それもよし。4コマ漫画を30分やるという文法が当時無かったので先駆者としては試行錯誤しないとならなかった)。
しかし、「あずまんが大王」の最大の収穫は、なんといおうとBGMです。その後「帝国マーチ(気の抜けたダース・ヴェイダーのテーマ)」で大ブレイクした栗コーダーカルテットのBGMはいくつかのわかりやすいフレーズを様々な方法で変奏して作品全体に統一した色をつけました。
その上で、「Tribute to あずまんが大王」で

  • 本編主題歌の作詞家が
  • 本編主題歌の作曲+歌の担当者(複数)と組んで、
  • 本編BGMに歌をつける

という凄いことをやった時点で頂点に達します。おまけで「本編BGM担当者が主題歌をアレンジ」という逆パターン付き。
これ以上ないぐらいの「中の人」が中の人なりの音楽を映像抜きで作るという逆転現象が、映像をものすごく想起させるという素晴らしいできばえ。ほとんどが初見で「歌える」という(1曲だけオリジナル曲が入っているけど違和感ほぼなし)。また、この歌詞が作品世界を歌ってるわけでもなんでもないのに「あずまんが大王」にしか聞こえないという。絶対このメインテーマ2曲の歌詞の中の「きみ」も歌い手も少年だぜ。BL。そう聞かないとおかしいもん。
完成した総合芸術は一部を取り出してもその全体を想起させるという非常にうまい例です。


と、「Tribute to あずまんが大王」の一曲「Moi Moi」がとあるTwitterクライアントの定番挨拶とかぶっていてそんなことを一気に考えたのでした。今後、仕事でフィンランド人と話をする度にあずまんが大王を思い出すことでしょう。
ちなみに、この「あずまんが大王」のBGMは一時期これでもかというほどテレビのワイドショー等で使われていました。使いやすいんでしょうねぇ。そのため、「あずまんが大王」を見たこと無い人でも、「Tribute to あずまんが大王」何となく歌えると思います。それぐらい使われたんです、当時。