文字情報による伝達の密度と速度

20世紀は「映像の世紀」だなんていわれてましたが、21世紀は文字情報が超高速で世界を駆け巡る時代だと思っています。私たちのような「月産文字数数百キロバイト」な人間は昔から書くことによって(正確には「シリアライズのための情報の再構成の課程において」。書かれた内容は重要じゃない)思考のフレームを作り、その抽象化を行って寄り複雑な思考を行えるようにしてきましたが、「禿同」と一言だけ書いたメールを送り合ってるガラケーのヘビーユーザーも、かつて携帯電話でメールを送ることが出来なかった中高生よりもずっと文章という思考フレームに慣れ親しんでいると言えます。
文章は自分のリズムで読むことが出来るとよく言われますが、これは裏を返すと「文章化された情報は訓練次第では一瞬で情報伝達できる」事を指します。ましてやそれを書くための方法論はどんどん進歩しており、携帯電話のブラインドタッチ(凄いことに予測変換まで先読みして押してる)なんかは下手すると話すよりも速かったりして。その上、5分以内に返事がないと「失礼」に当たるという新しい世界のルールがますます速読、速筆に輪をかけます。長文なんか書いてられませんし、時間かけて読んでられません。「今北産業」と発言する人間は、なんだかんだいいながら議論の流れは追いかけてますしね。


思っていることや、妄想を文章にしたためて手当たり次第に送りつける……という(ある意味大変に迷惑な)お手紙少年をしていた頃、「ああこれが思いつくのと同じ速さで文章になればいいのに!」と思っていましたが、ちょう達筆なFlorianの文字がこれ以上達筆になっては読み取れないのであきらめてセーブしてましたなぁ。「送ったとたんに相手につけばいいのに」ってのは実現されましたが、よもや「夜中にメールするのは失礼」だの「5分以内に返事しないのは失礼」だの言われるとは思いませんでしたが。なぜ夜中に来たメールを「読まない」という選択肢がないのやら。


ともあれ、文字情報が情報の主流になって、文字情報を速く読み解くスキルが必要不可欠になると、時間軸に沿って構成される「映像」のようなまどろっこしい方法論は情報密度が低くていらいらするんじゃないかなー、と勝手なこと思います。テレビ見ないからわかんないけど。「2時間の映画はなんで2時間かかるんだろう」とは思いますが。「ゴジラ(1954)」きちんとみたいなー。作業の裏で流すと見入っちゃうんだよねー。


ところでなんの話だっけ?<文章が思考フレームを形成できてない典型