URI(Uniform Resource Identifier)

ネットワーク上の資源(リソース)を特定するための方法論としてURIが使われ初めて早20年(URIの元形であるURLのテイム・バーナーズ・リーの論文が出たのが1991年。RFCにでたのが1994年(http://tools.ietf.org/html/rfc1738))。blogやWikiの台頭で「ここ」を示すための方法論はだいぶこなれてきましたが、まだ足りないと思っています。
たとえば、

  • 特定の文章の何行目の文言に対するリンク
  • 指し示している文章が、いつの時点でネットワークにあったものか
  • 被リンクへの双方向リンク

なんかは、有ってしかるべきものなのですが、まだ今のWeb標準にはありません。
なので、なるべく理想に近づけるように使う側が細工する必要があります。

  • blogなんかはエントリを小分けにして「ここ」に対するリンクを張れるように
  • なるべく追記はしても削除はしない。どうしても削除するときには訂正線か、「ここにはこんな情報がありました」と一言。デッドリンクを作らないように
  • リンク時はなるべくトラックバック
  • 「被リンク」が検索で引っかかるように

という訳で、どうでもいいような話でも小分けにして「被リンク」を受け付けるようにしているという方針なのです。もちろん、無断リンクソーシャルブックマーク全然オッケー(Googleみたいな高度な検索エンジンですぐたどれる)。トラックバックも明らかに違うSPAM以外は拒みません。2chに晒されるとスレに降臨するのが面倒なのであんまりうれしくないけど、有名税だよなー<おまえ、いつの間にそんなに偉くなった?
それがテッド・ネルソンのXanaduの理想に近いでしょうし、自分以外の人が同じようにしてくれると個人的にすごーくありがたいと思っています。


もっとも、私自身は激しくどうでもいいことしか書いていませんが(苦笑)、常に情報を発信し続けていると、それがたまったときに有る閾値を超えると「人格」のようなものを仮想できるんじゃないかとまで思っています。その「人格」は現在のFlorian本人そのもの*ではなく*、過去から現在にかけての履歴であり、なおかつWebsphereという環境の一要素として未来永劫生き続けるようであれば、本当にIdentifierとして使い物になるかな、と。
と、いうわけで、今日もどうでもいいことを垂れ流すのでした。


ちなみにこの発想から行くとTwitterはかなりいい線をついています。文字数制限があるので「ここ」を示す際の粒度が小さく、必ずその前後の時間経過が見られますし、リンク、被リンクもシステム内で完結しています。文脈から切り取られてしまうという問題はありますが、その文脈自体は「追おうと思えば追える」仕組みにもなっていますし。
とはいえ、どうしても長い文章を書いてしまいがちなFlorianはTwitterでも長文(のぶつ切り)を垂れ流す傾向があるのでした。
ちなみに、「はてな村」の原住民に近い人間ですし、mixiも使用年月だけはやけに長いですが、できればあんまりクローズドなシステムは使いたくないなー、とは思っています。なので、mixiにこもった文章や、はてな村特有の表現は避けてます。Twitterはまだ使い始めなので、まずは周りを模倣してますなう。
そのうち、Twitterのうまい使い方も見えてくるんでしょうけど。


そうそう。
リアルFlorian(を、Florianという名前で呼ぶ人は少なくなったなー)と、オンラインFlorianは同一のペルソナで動いています。なので、リアルFlorianに有った人は「ほんとにこんなに丁寧なしゃべり方を普段からするんだ!」と驚きますし、オンラインFlorianをあとから見た人は「言ってることと書いてることがここまで同じなんだ」と驚きます。これは何も「同じにするべき」という理想があるんじゃなくて、いくつものペルソナを使い分けられるほど器用じゃないというそれだけの理由です。
もっとも、昔ほどハードワイヤードFlorianじゃなくなったのでメールのリプライが10分以内、とかは無理ですが。Androidをbiffにして、Willcom D4に全情報を集約していつでもネットにつなげられるようにはしていますが、いかんせん1クオンタム(1つのコンテキスト:一つながりの作業)が長くなる傾向にあるので。というか、ミーティングだの外出先で作業だのが多すぎです。もう少しこもれる状況作らないとなぁ。