ソフトウェアとしてのパソコン、ハードウェアとしてのパソコン

最近、Unixのサーバーの案件なんてのを仕事でやっています。とはいえ、本番サーバーをほいほいと触るわけにもいかないので、まずはローカル環境で動かして、うまくいったらスクリプトftpでたたき込むという流れですね。
手元で使っているUnix SystemとしてはUbuntu 9.04。PHPApacheのそこそこ新しいのを使いたかったという理由もありますし、開発資料がExcelシートで届くので、OpenOffice3.0を使いたいというのもあります(ほんと、MS-Officeとの互換性に関しては2と3ではかなりの差があります)。ただ、もとからUbuntuだけしか入っていないノートPCなんてのはないので(デスクトップならある)、WindowsVista上のVMWare Player上で動かしています。CoLinuxも試したんだけど、特定のサービスを使おうとするとはまるのであきらめました。
普段はUbuntuの上のコンソールやNetBeansで開発を行っていますが、調べ物をするときにFireFoxを立ち上げては「はたしてこれはどっちだったかな」と悩んでみたり、文章を打ち込もうとして漢字変換のキーバインドで混乱してみたり、まぁ、いろいろと混乱しています。
なにせ、仮想マシンのくせにUbuntuがほぼ快適に動くんだもんなー。ゲストOSが快適だと、自分がどっちを使ってるんだか判らなくなりますね。


先の小中学生向けパソコン講座の話は、あくまで「ハードウェアとしてのパソコン」にこだわっています。所有すると言うこと、所有することによって世界が広がると言うこと。はじめて買ってもらった自転車のように、どんどん広がっていく世界をそのハードウェアに仮託して成長しようと。
でも、総務省の平成20年「通信利用動向調査」によると、インターネットの世帯普及率は75%と非常に高く、いまさらモバイルインターネット端末なんか整備しなくても、家でネットぐらいできるというか。
ぶっちゃけ、8GByteくらいのUSBメモリUbuntuGRUBごと入れておいて、直接USBから起動させたり、VMWareVirtualBox経由で起動させても自分だけの環境ってのはできあがるんですよね。
ましてや、今回はGMailGoogle sitesをネットワークサービスの中心においているので、ローカルにファイルを置いておく理由がほぼ無いというか。
そんなとき、このUSBメモリに思い入れることはできるのかとちょっと考えます。小さな親指大のメモリが自分の世界のすべて。このメモリが自分の生きた証であるという所まで思い入れられれば、無理にハードウェアにこだわる理由ってないのかなぁ。
今になって、Sugar lab.の人たちがSugar on a Stickを作った気分が判ってきました。確かに、いろいろ足りないとはいえ教育用環境はそろってるもんなー。ROMじゃないからカスタマイズし放題だし、Journalも残るし。
書籍の付録にUSBメモリをつける事ってできないのかな?8GByteで原価1000円って所か。うーん、嫌がられそうだな。