パーソナルデータマイニングとMacintoshのファインダー

コンピュータを長く使っていると、コンピュータ内に様々なデータがたまっていきます。特に、コンピュータを開発環境は検証環境としてではなく、生活に必要な情報を何らかの形でため込み始めると数年後にいろいろやばげなことが起こってきます。
Florian の現在のフォルダ構造の使い始めは1997年のWindows95マシンでした。UnixX68000出身だった当時の私は、Windowsには「ホームディレクトリがない」ということに衝撃を受けました。
あ、いや、ありますよ、立場上は一応。「Documents and Settings」内のユーザー名のフォルダの内側を暫定的にホームと見なしてもいいという造りです。でもなー、パスに「スペース」は入るわ、直接表からは見えないわ(「マイドキュメンツ」は、さらにその奥)、なんとも居心地の悪い思いをして結局専用の「ホームディレクトリだけのパーティション」を作りました。
このときの「ホームディレクトリだけのパーティション」が、今の使っているWillcom D4やSMBサーバー上でのファイルのありかの基本になっています。
あくまでディレクトリとサブディレクトリで分けられ、各ディレクトリがあまりふくれあがることがないようにサブディレクトリ化はこまめに行われています。
ことろが、実に10年以上もこの調子で進めていくと、ファイルの数はとんでもない量にふくれあがります。メールも凄いことになっていますし、メールとは無関係なテキストファイルのメモ、公式文章としてのWordファイル。マシンを何度もまたいだり、サーバーにバックアップを取ったりとファイル単位で繰り返しているうちに、情報としては「ファイル名」と「どのフォルダに属する」ばかりが残るようになりました。
でも、ローカルマシンでやっている限り、Windowsエクスプローラはアイコンの位置や開いたときのウィンドウの位置や大きさを覚えて居るんですよね。ある時期まではフォルダを開いたときにはフォルダだけで1ウィンドウになっていましたので、ファイルの配置形状自体もファイルがなんなのかのメタ情報の一助となっていました。
いや、私はUNIX上がりの人間なので、この辺のアンドキュメンテッドなメタ情報にあまり重きを置かず、SMBなどを介すたびに抜け落ちるのは当然だよな、戸は考えていました。


で、FreeMindを使って「マインドマップもどき」を生活の中心に置くようになってはじめて(認めたくないですが、一時期よりも明らかに脳の能力が衰えてるので、こんなことでもしないと思考を固定化できない)、各情報の文脈や意味は、二次元的表現の位置によっても補強されるという話が出てきて、今更ながらWindows95の頃の「大きいアイコンのウィンドウ内での位置をいちいち覚えている」という機能の意味が分かってきました。
検索性としては激しく悪いですが、そこに「おいた」という時の記憶は残り続けるわけですよね。ぼんやりと。これを元に思考の足しにさせようという発想が当時のWindows(というか、MacintoshのFinderからの引用でしょうね、これ)にはあったんだろうな、とやっと見えてきました。
とにかくデータを関連性を薄く記しながら書き殴ると、そこから思考が見えてくるだろうという発想が謎メモツールSpreadMemoにはあります。各ノードの位置は関係性を満足させる上手い位置にマルコフ線図で自動計算するべき何だろうなぁ……などと考えていましたが、ふと、「書いたときにはここにおいた」ということを優先しないと記憶の足しにならないのかも、とも思い始めています。
FreeMindはいいツールだけとまだ思想的に「マインドマップ」に指向しているのが惜しいなぁ。なるべく早くに作りたいなー>SpreadMemo