エレGY(isbn:9784062836685)

泉和良
米光さんのところ(http://blog.lv99.com/?eid=821763)で取り上げられててあまりに興味を引いたので。


私小説が苦手です。
人は必ず自分の人生しか歩んでおらず、自分の感じた世界やその中での感情は基本的には共有できないと思っています。なにせ、世界との違和感ばかりを感じながら生きてきてしまった<世界謝絶者>(アウトサイダー)としては、「判るよな、判るだろ? 俺の気持ち」と聞かれても「判りません」としか答えられません。
ま、幸いにして「ムー」もまじめに読まず、前世も探らずに<妄想戦士>(ドリームソルジャー)にもならなかった自分がどうなったかというと、共感とは違うところで物語的快楽を語ろうとするSFに走ったわけで、まー、文学からは遠いところにいますわな。いいじゃん、べつに、エンタメで。


と。思ってたんですけどねぇ。
この本はかなり露骨に私小説です。なにせ、主人公と作者の名前も一緒だし、作者のやって来たことが綴られています。それもかなり意識的に。ジスカルドというハンドルも、アンディー・メンテというサイトも実在っぽいですし、実際に作者が感じたらしき感情も作内に綴られています。
それらすべてが実際のことであったかどうかは、小説の出来とは無関係です。作内に文章の形として綴られてさえあれば、嘘であろうと虚構であろうとたいした違いはありません。
でも、思っちゃったわけですよ。それこそ創作活動を何年もやってきて、職業クリエイターをやって10年もたっている私は。これは、リアルだと。
このリアルという感覚は、ケータイ小説の主人公が類型的なキャラクターであり、現実に起こった出来事を元に書いているという触れ込みであるというところと同根です。ただ、ケータイ小説がかなり広範囲に広まるぐらいには一般的であることに対して、この主人公はノンフィクション風味の触れ込みの割には一般性がありません。それこそ、これをリアルだと思えるのはそれこそ自分くらいじゃなかろうかってぐらい。
自分のことを書かれたら、虚構だろうが何だろうが、親身に考えざるを得ませんよねぇ。何せ、人間の感覚は狭量ですから。


特にリアルだったのが、メンヘラの知り合いが特に女の子に多めだったことも由来しています。非モテ街道を驀進していましたので、まともっぽい感性を持った女の子には見向きもされなかったんですよね。いや、非モテなので女の子でさえあれば何でも舞い上がりますから、メンヘラであることを気にしたことはあんまりないんですけど。
リストカット上等。自分一人が世界の苦悩を一身に背負っているなんてのも当たり前。自分の世界は確立しているくせに相手の都合は考えないし。やー、どっかで見たような何かですね。
どっかで見たような何かなのはともかく、それをリアルと思ってしまう自分としては、書かれていることに思い入れてしまうわけですよ。


とはいえ、昨日の「AURA」といい、矮小化された自分が世界に立ち向かうためには、まず彼女が必要なのかと考えるとちょっと暗くなります。なにせ、非モテだった当時、まさにそう考えていたので。妄想は非常な快楽を生みますし、恋愛に絡んだ妄想はかなりの力があります。メンヘラでも気にしないぐらいには妄想は強いですし。
物語としての快楽を、非モテの妄想からしか感じ取れない自分は、やっぱりあの頃から全然変わってないのかなぁ、とか。
でも、なんだかんだ言いながら物語としてはかなりおもしろかったです。
最後の1章を残したところでちょうど電車から降りて読書を中断することになったのですが(基本的には通勤中が読書時間です)、その後晩ご飯を食べているときにこの小説のことを思い出して泣きそうになったのは、きっとそのとき食べていた富士蕎麦のカレーカツ丼セットに思わず感動したせいだと思うことにします。おいしいんだよ、富士蕎麦のカレーカツ丼。いやほんとに。