天賦の才

人にいわれて自分が天才と気づくよりも、自分の世間との違和感の中で天才と気づいてしまうことの方が多い気がする。
自覚のない天才は個人的には天才と認めない。


その上で、天才当人は、天才ではない人と同じくらいには生きづらいけど、天才であることはどうやっても否定できないので、社会からのドロップアウトを容認する必要がある……ということに気づくのにえらい時間がかかりました。
だって、仕方ないじゃん。見えちゃうんだもん。他の人には見えてないはずの何か*1が、訓練しなくても明確に。見えてないふりをして社会で過ごしても、意志決定にばっちり影響があるのはどうにもならないし。
ただ、天才という言葉の持つイメージは千差万別で、自己の理想のイメージと現実は残念ながら乖離しちゃうことの方が圧倒的に多い関係上、自らの天才性に実利的な何か多くを求めるのは難しいですねぇ。
見えないはずのものが見えてしまうからといって、必ず有効であるとは限らないわけだし。


個人的には、自分を圧倒的に凌駕する天才が周りにいなかったのはちと不幸だったなぁとは思います。
あ、「能力」では凄い人はたくさんいましたよ、念のため。それに、自分の「能力」のほとんどは訓練によって得られたもので、天賦の才でどうにかできたことはあまり多くないとは思います。
周りにいたら、もっといろんなことをうまくあきらめられてたろうになぁ。
恥の多い人生を送ってきました(なんか違う(^^;))。

*1:霊魂だったり、紫外線だったりみたいなかんじ。見えたことを証明することがほとんどできないのも同様