メモを電子化するという事

紙のメモに書き殴ったり(ゲルインクの0.5mm位のボールペンが書き殴るのにはいい感じ)、ツールを取り替えてみたりといろいろやっていますが、ふと、何でわざわざ電子化にこだわってるんだろうと、自分に疑問を抱きました。
もともとは、再利用が一番の目的だったはずです。かつての私は凄いメモ魔で、ポケット国語辞典とA6のノートをどんなときでも持ち歩き、片っ端から思いついたことをメモして回っていました。それこそ、見たもの、聞いたことから、忘備録、小説やコードの断片など、大体、40枚ぐらいのノートは1ヶ月くらいで消費されます。
余りに消費が速いので、書いたことをあとから参照するのにかなり困ることとなり、なおかつ私の字はかなり達筆なので(^^;)、他の人には読めず、その上下手すると自分でも読めなかったりするのでした(^^;)。
なので、この大量の文章をいかにして再利用するのか、というところからメモの電子化はスタートしています。さいわい、書かれるものは文章の断片であることが多かったので、フォーマットなしのプレーンてキストであれば再利用がやり易くていいという意識はありました。どのみち私はUnix System出身なので、コンピュータを使って何かやろうとすると、プレーンテキストに還元されないと気持ち悪いと感じでいました。
この調子で、PSION revoから始まり、MI-E21,SL-C700,W-ZERO3ととにかくキーボードでプレーンテキストを書き殴ってきました。
ま、だったらこれからもプレーンテキストでいいんじゃ無かろうかという話にはなるわけですが、なんか微妙に足りなくなってきたんですよね、個人的に。
まぁ、理由は何となく判るんですよ。たぶん、一時記憶が劣化してきて、絡まった思考を一次元の文章に落とし込む能力が少し弱くなっているのだと思います。
箇条書きで書き殴っても、その箇条書きの間がうまく思いつきませんし、そもそも、散らばった思考を箇条書きに落とし込むことですらうまく行かなかったり。なので、今まで通り箇条書き+階層テキストで一次元的に落とし込んでいたプレーンテキストに不満がでてきたんでしょうね。


プレーンテキストだけですべてをまかない切れていた頃は、適当に書き殴った文章が再利用の対象になったので、電子化にそこそこ意味がありました。でも、書き殴った文章の目的が再利用でなくなってしまったのであれば、文字データによる保存はあまり意味をなさないのかなぁ、とも思います。確かに検索のしやすさは文字情報ならではですが、そもそもその元になる文章を書けないくらいなら、捨てちゃってもいいかなって気もします。
だったら、ルーズリーフ風の手帳にいろいろ書き殴ってはオフィスに着くなり自動で取り込んで(さいわい、別件で買ったScanSnapは手元にある)、タイトルだけ付けた上であとはメモ自体を捨てちゃうと言う荒技が取れますね。
ようは、大量に書き捨てられていく情報を、何らかの形で残せさえすればいいのですし。
……いや、待て待て、タッチパネルが十分広ければPDAで直接手書きで書いた方が速い(^^;)?
うーむ、まずは一つ一つ試してみましょう。さいわい、今時のPDAは画像データを山のように持っても何ら困らない素敵大容量ストレージを持っていますし。