(プログラムという)仕事を好きになる方法(http://d.hatena.ne.jp/suikan/20071103/1194046685)

とりあえず、似たようなことをいう教え子には、「君の人生の為にプログラムから離れることをお勧めする」とよく言っています。
どうすればといっている時点でかなり不幸だと思いますが、いまならまだ取り返しがつくと思いますし。
なにせ、プログラムって、かかるストレスに比べて、得られる精神的満足感は圧倒的に少ないので。プログラムという方法論に思い入れることができない人はいつまでたってもプログラムを楽しいと思えないと私は思います。


そういう意味では、すべての人間が読み書きと同様にプログラムを組めるようになるというコンピューター革命というものは、なかなかやってこないんじゃなかろうかという気が非常にします。
もちろん、プログラムに対する精神的障壁を下げることは、抽象化という技術によってある程度可能です。また、できあがった成果物が世界を変えるという物語による満足感(これは、成果物を作ったという気分とは別のレベルでの満足感です)を得ること自体は不可能ではありません。
だからといって、受けたストレスに対して、精神的満足感が相対的に低いだろうという推測は変わりません。満足するにはストレスが大きすぎます。
それこそ、プログラムを楽しく組むには、無償の登山を楽しく思えるようなメンタリティ、つまり、無償のプログラムを楽しく思えるメンタリティが大前提として必要だと思います。
非常に極論になりますが、無償で、名誉と、作るということに対する充足感くらいしか報酬にないフリーソフトすらも作れないような人は商業ソフトウェアなんか作れないと思います。労働の対価として楽しみを得られるほど、ソフトウェア作成は楽な作業ではないと思いますので。
……というのが、職業プログラマーを何百人も(あー、そんな人数になるのか(^^;))送り出してきた教育関係者としての意見になります。


ま、もっとも、方法論思い入れない限りは仕事自体がおもしろくなることはないってのは、どんな職業でも一緒ですけど。
その上でやっぱり、「魔女は血で飛ぶ」(魔女の宅急便より)みたいな感じで、「プログラマーは血でプログラミング」するですよ。当人の意志はどうあれ、プログラマーの血を持っていない人は一生プログラミングに思い入れられないんじゃないかと。
……コンピュータ革命はどこに行った(^^;)?>自分