疑似科学

一昨日(id:Florian:20040824#p1)、あんなことを書いた手前、何か論拠はないかといろいろ調べていたら、こんなことを書いている人がいました。

一言だけなので、言葉の真意は判らないのですが、雰囲気をよく捕らえたうまい言葉だと感心しました。


自然科学的方法論というのは、以下の行為の連鎖だと思っています。

  • 仮説を立てる
  • 仮説を検証するために実験
  • 仮説にひとつでも当てはまらない結果が出たら、仮説と実験の双方を疑う

まぁ、疑いのレベルを上げて行くと、「確実な仮説」なんてものは生まれないのですが、十分実験結果に信頼性がもてる物を「定理」としてアプリオリと見なすという形で固定化し、今度はその「定理」を元に新たな仮説を・・って感じで世界を語る方法論かなー、と。
ところが、自然科学や工学の「定理」のデータベースがある程度たまると、一連の定理の流れで考える、 Florian の嫌いな言葉で言うと「文脈」が生まれてきます。「現代の宇宙観測は一般相対性理論の文脈で行われる」みたいな感じ。
いや、何せ「定理」と言えるぐらいのものですから、実験結果にはそこそこの信頼性はもてる訳ですし、アプリオリなものを一々疑っていたら切りがないのですが、そういうことを繰り広げているうちに、「仮説」自体が科学ではなく、「文脈」こそが科学であると勘違いし始める傾向が生まれてきます。
じつは、この傾向、科学に詳しい人ほど顕著でして、例えば「と学会」での山本弘さんとかは、結構そのケがあるんじゃないかなーとか思っています。SF作家なんだから、仮説をでっちあげてシミュレーションするのは得意なはずなのに。
で、「文脈」の目からみると、定理の割合根っこ目のところから分岐して構築された仮説は、その仮説自体に自然科学的方法論が適用されていたとしても、「文脈から外れてるから科学ではない」という言い方になるですね。
ま、多くの場合は文脈にはそこそこ理由があって、根っこ目のところから分岐しないのは、「一度試したけど何か重大な問題があった」か「現実的に実験そのものが不可能」がほとんどですから、分岐したものがぽっと出の場合はまずは否定してかかってほぼ問題ないのですけど。


さて、翻ってオーディオのタイムドメイン理論をみてみると、実にこの傾向にバッチリ当てはまります。
解析学的にも、人間の器官的にも現在の「周波数解析」を中心とした音響工学はかなり妥当性が高いと思っています。
また、面倒なことにオーディオの世界は定量的、定性的な評価基準や、再現性のある検証は結構難しくて、未だに官能評価が支配する魔窟です。
なので、「文脈」が色濃く表に出てくる傾向にあって、文脈から外れている者は異端として断罪されるという傾向にあります。
そして、タイムドメイン理論自体はこのオーディオの文脈からはかなり外れています。
この「文脈から外れてる具合」をして「疑似科学」というのはとりあえず雰囲気は大変よくとらえてるよなぁ、と。


ま、それとは別に、オカルティックな感想がやたらと多いってのも、Timedomain miniとYoshii9の特徴ではありますけどね(^^;)。
タイムドメイン社の人達はそういう人達中心に売り込んだのかなぁ? 確かにそういう人達はスペック主義なオーディオマニアよりも官能評価に訴え易いかもしれませんけど。