オーディオM

盟友まかべひろしさんの日記( http://www.marchen.to/hf.cgi?fn=txt/index_diary.txt&diary_y=2004&diary_m=5#20040524 )にて以下のような(意訳)問題提起がなされていたので、考察を。

なぜオーディオマニアは普通に聞くと聞こえないような小さい楽器の音をありがたがるのだ?
なぜ聞こえないように作ったレコーディングやトラックダウンを責めない?

それは!(じゃん)
オーディオマニアはマゾだからです!(爆)
聞こえないような音で楽器を鳴らされると「これは私に対する挑戦だな!」と自らの機材を刷新して懐を痛め付けることに無上の喜びを抱く変態、これこそがオーディオマニアの本来の姿なのです!
さあ、まかべさんも素敵マゾの世界へようこそ!!


というギャグはさておき(^^;)。


まずは、オーディオの世界で、良く言われる「粒立ちがいい」という主観評価の考察から。
「粒立ちがいい」という言葉の語源は恐らく白米のご飯などからきた物と思われます。御飯粒一つ一つが輝いている状況、そして適度な弾力と粘着、にもかかわらず粒同士が混ざらないプチプチ感。見るからにおいしそうな感触です。
これを音に当てはめると、以下のような音を「粒立ちがいい」と言っていると思われます。

  • 一緒に鳴っている和音、別楽器が聞き分けられる
  • それぞれの音がなるタイミングを聞き分けられる

もちろん、これはオーディオ機器に関する話だけではなく、聞き手の能力にも依存するのですが、とりあえず人間側の個体差はこの際置いておいて、オーディオ機器に関するところだけを抜き出して、定量的評価基準に直すとこんな感じになります。

  • 特定周波数のみ細いスペクトルとなり、近傍の周波数に拡散しない(fドメイン再現性)
  • 周波数分布の時間的変化の追随性が高い(f/tドメイン再現性)

ようは、録音時に鳴っていたはずの音は、目の前で聞いていれば聞き分けられるだろう、と。だから、録音時と同じ状態に再現できればきっと「粒立ちがいい」音に聞こえるだろう、と。なにせ、実物をみても聞こえない音があることをして、「粒立ちの悪い演奏」*1とは言わないですし。
この評価基準の前提としてはもう二つ大きなお約束事があります。

  • 元の音源はすばらしい物である
  • すばらしい音源を寸分違わず再現するのはすばらしいことである

ようは、「粒立ちがいい」なんて事を言っている人は、みんながみんな仮想的な、多分実在しない「すばらしい音」にどれくらい近づけているかをいろんな形で模索しているって事ですね。
ここで重要なのはレコーディングやトラックダウンでいろいろいじっちゃってる関係上、「元の音源」なんてのは実際は実在せず、みんながみんな仮想的な何かをより所にしているため、定量的な評価というのは非常に難しいということです。
このため、オーディオマニアは見えない何かを目指してさまざまな努力をするはめになるのです。
・・総合的にみると、やっぱりマゾですね(^^;)。


じゃ、なんで「聞こえるように作らないんだ!」と怒らないかというと、「特定環境で聞こえるように作ると、再現性高い環境では変に聞こえる」のがいやだからです。
特定環境(例えば、テレビ)で再生されることを期待した音源は、その環境でのみ正常に再現されるようにいろいろ音をいじります。たとえば、テレビで再生されることが多い家庭用ゲーム機だったら、低音がでないスピーカーに対応すべく低音を上げ、生活雑音が多い環境に対応すべくコンプレッションをかけ、といろいろ音をいじります。
でも、いじった後の音はもともと「こう聞こえてほしい」という作者の意図がきちんとそこに再現されているとはちょっといいがたかったりします。
なので、オーディオマニアの人からすると、「特定環境で聞こえるようにといじられるぐらいなら、生でほしいなぁ。その代わりこっちでいくらでも再現するから」という言い方になるのです。
だから、オーディオマニアは生録音のジャズや、クラシックをやたらとありがたがります。この辺の音源は特定環境向けにいじるって事を余りしませんし。


ここまで読んで、言い知れぬ違和感を抱いた人。あなたは正常です。変態の世界に足を踏み入れる危惧はあんまりありません。
だって、どう考えても変ですよね、「オーディオシステムのために聞く音源を変える」なんて。たとえば、J-POP(かなり「特定環境」向けに作られています)をよりきれいに聞くために高級ステレオを導入したのに、J-POPを聞かないようになっちゃうなんてのは、目的がいつの間にかすり替わっちゃってます。
手段のためならば、目的を選ばないという不条理。かくもオーディオマニアとは変態の世界なのですことよ。


もう一つ。まかべさんの疑問にこんなのがありました。

聞こえない音を入れた製作者の意図は?

いくつか理由は考えられます。
一番大きいのは、製作者自信が聞かせたい物がきちんとした再生機器でしか再現できないという確信がある時。
実際には、制限されたプラットフォームしか使えない、というのは、ゲームだろうがオーディオだろうが一緒で、聞き手の環境を意識しなくちゃならないのは確かなんですが、CDという再生環境は割合簡単に理想の再生環境に近いところまで持っていくことができるので、「せめてその程度の努力はしてよね」という意識を込め、その上でならばすばらしい物を見せてやるぜという製作者側のプロ意識とわがままの産物とみることができます。

二つ目としては、たとえ聞こえなくても、たとえわざわざ意識に上がらなくても受け手の耳に届けばなんらかの感情を喚起できるという確信です。
たとえば、人間の耳の可聴域は20KHz位までと言われていますが、CDでは、もうちょっとまで高い音を流すことができます。その辺の音って、聞こえていないはずなんだけど、それでも入れておけばなんらかの影響はそこに確かにあるだろうと考えることができます。
これは、聞き分けることができないほど小さい楽器の音なんかでも同じことが言えます。注意しないと聞こえないような音だからといって「鳴ってなくても同じ」とは言えないだろうと。

三つ目としては、・・ええと、その、なんだ、サウンドデザイナーの人が単に気にしていないだけって事も考えられます。
作曲する人がかならずレコーディングやマスタリングに気を配っているとは言えないし、気を配っている人でも、作曲ではなく録音にどれぐらい系統だった知識を持っているかというとそれはそれで疑問ですし、レコーディングエンジニアの人がきちんといたとしても、スタジオのモニター上で聞こえることだけしか見ていないとすると、特定環境での再生にはあんまり向かないかもなぁ、とは思います。
これ、一つ目の状況(再生環境を選ぶ)と結果だけは似てますが、そこに至る経緯は全然違いますね。ついでに、結果が似てる割りには違いがすぐばれます。数トラック入っているCDだったりすると、そのうち1曲ぐらいで馬脚を現すのですよ、この手合いは。


ってのが、製作者側に限りなく近いオーディオマニアの見解でした。

*1:実際はtドメイン側でのゆらぎを粒立ちという言葉で表す評価基準はあるんだけど、オーディオの話から外れるので除外します