シーン897 9/21 駅前 夕刻

「例えば、君の記憶には何人出てくる?」
「家族も含めて?」
「あー…いや、ここに越してきてから出会った人で、かな」
「4人…きみを含めて5人くらいだ。友達少ないな」
「転校生がいきなり友達百人、なんておかしな話はあんまりないよ」
「そうだね。クラスの派閥にもはまってないし、いじめられるほどでもない。ほどほどだね」
「さて、うちのクラスには何人人がいただろう?」
「30人くらいかな」
「5人のうち同じクラスなのは?」
「3人。君も含めてね」
「残り20人以上の顔を君は覚えているかい?」
「いや…そういうのは苦手なんだ」
「その割にはソフト部の彼女はすぐに認識できたね」
「あれは出会いがインパクトあったからなぁ」
「彼女を含めるなら一学年、約150人が対象になるね」
「当然、わかるわけないよ。高々3週間ではとても無理」
「さらに保健室の学校医。授業を受け持っているわけでもないのによく顔を忘れてないよね」
「うん。…何が言いたいの?」
「隣の席の彼女はわかりやすい。君がクラスに来た時からああも大きく態度が変わるとは思わなかったからねぇ」
「以前の彼女はあんなにやさしくなかった?」
「優しかったかどうかはわからないな。ただ、優しいことが外から見えないくらいには内向的だった」
「そうか。…でもそれは少しうれしいな。ぼくはまだこの環境になじめてない。彼女のおかげでずいぶん助かってる」
「真っ先に君に声をかけた彼は、まあ、変わったこともない。誰が転校してきても同じ反応をしたろう。彼女とは大きく意図が違うね」
「ちょっとまって、彼女はぼくだから優しくしてくれたってこと? ほかの誰でもない、ぼくだから? 他に理由があるんじゃなくって?」
「まあそうだろうね。正直、惚れたはれたは僕にとっては割とどうでもいいんだ。ただ、少し思い出してほしいんだ。君からは顔も見えないたくさんのクラスメイトが、たくさんの市民がここにはいる。でも、その顔すらも君は思い出せないはずだ」
「そんな…いや、うん、言われてみると、そんな気もしてきた」
「モブだよ」
「え?」
「意識されることのない、記憶にとどまることもない『その他大勢』。それが、君の生活の大半を占めている。でも君は認識できる5人だけで人生を紡いでいる」
「いや、そこまで抜けてはいないよ」
「どうだろう。君はここへ来た時に乗ったバスの運転手の顔を覚えているかい? 隣の席にいたおばあさんの顔は?」
「…抜けてるかもね」
「でもいいんだ。僕たちは記憶の断片を紡いでも十分人生を進めていける。顔も出てこない、声も思い浮かばないモブとかかわった記憶はもっと印象の大きい記憶の間に埋もれて補完される。あってもなくても、さほど違いはないんだよ」