シーン335 9/13 夕刻 保健室

「もしもよ」
「はい」
「あなたのお父様が一月前に転勤を決めなかったらあなたは明日ここに来るかしら」
「難しい仮定ですね。昔の出来事を無かったことにする……ぼくはここに転校する理由が無くなるので明日は元の学校で楽しくやってる、と、思います」
「ほんとにそう思う?」
「多分」
「それは因果の伝播の速度が一定以上に上がらないからそう考えてしまうのね。因果の伝播――そうね、判りやすいところでは光の速さなんかは限界に近いところにいるんでしょうけど、実際に理由とその結果が必ず対応しているとは限らないんじゃ無くって?」
「だって、理由がなければ結果は起きないですよ。ぼくはこうしてここに来てしまったけど、それにはきちんと理由があったんですから、ほら」
「今日のあなたの人生はそうね。でも、人生はシリアライズされた記憶の物語であって因果ではないわ」
「ぼくだけじゃないです。先生だってここにいる理由があるから、ここにいるんでしょう?」
「そうね。私はここにいる。でも、もしかしたらここにいないで大学に残っている私もいるかもしれない。それは因果の伝播速度よりも早いから知覚することは出来ない。その上でこう考えることは出来ないかしら。因果の伝播速度を無視した世界は無数に存在して、その中から自分の都合のいい事実をつないで人生としてみてるんじゃないかって」
「自分の都合のいいってどういうことですか?」
「因果関係という物語に合致している。それだけよ」
「……」
「一つ賭をしましょうか」
「なんですか?」
「明日という物語が今日という因果の伝播速度を超えることが出来るかどうか、よ。明日、そのまま来たらあなたの勝ち。明日の物語として、お父様が転勤を断っているのに来たら私の勝ち。どうかしら?」
「そんなの……ぼくが勝ちますよ」
「何でも賭ける?」
「いくらでも」
「じゃあ、私が勝ったらあなたの明日を頂戴」
「ぼくは……明日までに考えておきますよ。負ける気しませんから」
「ふふふ」