「花と太陽と雨と」の思い出

ヴィクター音産(今のマーヴェラス)販売のゲームです。なにげにアスキー販売の「シルバー事件」と繋がってます(判る人には判るようにできてる。知らなくても困らないけど)。
で、なんでこんな面倒なことになってるかというと、「花と太陽と雨と」発売直前にアスキーがゲーム事業から撤退しちゃったから。作っていたのは外部の「グラスホッパーマニュファクチャリング」。今となっては超有名ディベロッパーですが、当時は無名だったのです。


で、そんな事情なんかまったく知らずに、作内で使われるガイドブックの紙の書籍版(電子書籍版は作内でも読める)を店頭でちらりと読んであまりの意味不明さにソフトといっしょに本を買ったんだっけ。よくわかんないけど、なんかあるぞ、これって。
果たしてまったくもって理解不能なゲームという印象は拭えなかったのですが、ネタに走ったシナリオと(ネタだけで押し通した、とも言える)、素晴らしい音楽と、しょぼいといえば凄くしょぼい、綺麗といえば凄く綺麗な画面(技術ではなく、センスで勝負してる)に圧倒されているうちにエンディングまで一気に。特に最後の数字合わせなんかゲーム的にはまったく意味が無く、ただ作業として時間を引き延ばされているだけなのに、でも、これでもいいかもしれないとぼんやりと思いながら作業してました。
むやみに美しいエンディングを見ながら、「このゲーム好き。でも、どこが楽しいかを人に説明できない」と思った初めてのゲームでした。


音楽がいいとか、グラフィックがセンスあるとか(あれを「綺麗」と言えるかどうかは実は凄く微妙。作内でキャラクターに「顔グラフィックとポリゴン全然違うじゃん!」とか突っ込まれるくらい)、加点できる部分はあるにしても、ほぼゲームになってないし、ゲームにする気もない。ジャンルで言えば確かに「ゲーム」として売るしかないだろうけど、ゲームとして楽しめる部分はほぼ無いので、「このゲーム好き」とは言っちゃいけない気がする。
当時、既にプロとして何本も作品を出していた、その上ゲームデザインについて学生に教えていた自分が理解できないというのはまずいことなんじゃなかろうか、でも、それでもいいのかも、とかグルグルと考えていました。
その後、須田51というディレクターの存在を知り、その作風や別の作品をいろいろやって「なるほどこれはこれでありなんだなぁ」と納得するまで結構かかりました。
私の中での「ゲーム」の定義が変化した心に残る作品です。
ちなみに音楽は無条件でいいです。クラシックなどの名曲をリゾート風にアレンジした曲が作中ずっと流れます。音楽単体でも素晴らしい。2枚目のアルバム「SHINE」の「ラプソディ・イン・ブルー」や「キューバ序曲」なんか凄く好き。
いまならNintendoDSで遊べます。是非。