エンターテインメントとそうじゃないもの

私はたまたまエンターテインメントが好きなので、わかりやすい(はい、ここ笑うところです)エンターテインメントを作ることが多いですが、世界がエンターテインメントだけでなければならない理由はどこにもないと思ってます。エンターテインメントじゃないものであっても、存在価値はありますし、また、エンターテインメントと一言言ったところで全ての人が楽しむことができるかというとそんなことはありません。
むしろ、全ての人に届くエンターテインメントなんてものは作れないし、ごく狭い人だけが楽しいと思うエンターテインメントがあっても罰は当たりませんね。私がいかに村上春樹高橋源一郎武者小路実篤をおもしろく思わないからといって、これはエンターテインメントではないとは言い切れません。ええ、私にとっては全然エンターテインメントじゃなかったですけど。
ただ、「エンターテインメントだから低い」といわれるのだけはちょっとなぁ、と、思います。いや、思い過ごしなら良いんですが。エンターテインメントが高尚になると次に来るのはそれが「高尚かそうじゃないか」という軸で見る時代が来るんだろうなぁ、と。
いや、別に軸はいくらあっても良いんですよ。高尚良いですね。低俗良いですね。私が「私にとっておもしろい」ということだけを軸にしているように、それ以外の軸が世界にあるのは一向に構わないんですが、「高尚じゃないものは存在してはいけない」といわれるのは怖いなー、と。
漫画、小説はもうその領域に達してる(やだなー、両方好きなのに)、音楽は割とまだリベラル。で、ゲームはどの辺まで見られてるんでしょうねぇ。できれば、様々な評価軸があって、どれかが絶対と世界が言う、ということだけは避けたいなぁ。