新卒内定者が減ってるらしい(http://www.j-cast.com/2011/01/18085764.html)けど……

ニュースソースはいろいろあるのですが、グーグルニュースでトップになっているところをてきとーに。


なんで「就職」という言葉があるのかを考えるべきです。内定ってようは「就社」ですよね。職に就く訳じゃない。あくまで特定の会社にひもづけられる。特殊技能を持っている人は特殊技能を生かせる部署に行くかもしれないけど、私が知りうる限りほとんどの人間はそれまで学習してきた技能とは無関係の部署に行っているようです。文系の大学の方が多い現状で、「政治」だの「経済」だのが中心なのに、会社に入って「政治」や「経済」を直接触る人間がどれだけいることやら。
教育という意味では、大学まででやってきた専門が職に就いて活かせないことがあること自体は何も問題じゃないと思います。教育ってそこまでインスタントな効果を求めてやるものじゃないし。もし役に立つのならかなりラッキーですが、そこを目指してもなー。必要としている職種の割合と教育機関の割合が(もっというと、それぞれの絶対数が)イコールならともかく、そんなのはどうやったって無理です。
ただ、現在のキャリアパスにおいて「早い段階で一度は会社員を経験してみる」ということが確かに意味はあります。というのも、社会に出る際に「社会が素人を受け入れる」という教育プロセスをもっとも効率よく実装しているのが一般サラリーマンの「新入社員」という制度だからです。基本的に全く戦力にならないことを期待して、今後搾取することを前提に給金を払いながら教育を行うので、搾取できるところまで持って行くことに力を入れるのは当然というか。低コストで効率的な教育をしないとならない、という制約条件があるとどんどん最適化が進みます。
あ、「搾取」っていっていますが、別に搾取がまずいわけではないですよ。労働契約上、労働力を提供している側はその労働力の提供のための基本インフラを会社にゆだねているのでその部分は搾取されて当然だと思います。搾取しない労働力の提供を求めるのなら、会社に社会保障なんか求めちゃダメです。それは、タダではないので。どうしても搾取がいやでなおかつ社会保障が欲しい人はそういう社会を法的に作るしかないですね。


で、内定率の話に戻るのですが。
「新卒」の「内定」という枠組みで考えると見えてくるのは「新入社員」という制度にコストを払える企業が減っていると考えるべきでしょう。仕事全体が減っているという反論をする向きには、「仕事というのは口を開けて待っていると降ってくるものではない」といっておきましょう。資本が有限であり、なおかつ資本を流動させることによって経済がまわっているという前提の世界においては、ほっぽっといてもまわることは余りありません。昔そういう時代もあったのかもしれませんが、今は少なくとも違います。
リストラも同様です。要らない社員を切ることは企業の要請としては当然です。要らない社員でも生きていられた今までがおかしいんです。不当解雇を訴えたところで「あなたは要らないから長くいたけど切った」といわれてそれが覆されるケースはほぼ無いと思います(昔は「長くいた」が不当解雇を覆す理由になった時代もあったらしいけど)。
で、どう生きるべきかと考えましょう。
まず、「新入社員」である間に身につけるべきスキルは本当は教育機関で賄うべきです。なんでこれが入ってないのかと今でも不思議に思うのですが、分業がどうのとかいろいろあるんでしょう、きっと。大学や高校の先生が「新入社員」だった経験が無いせいもあるでしょうし、こと大学の研究機関としての性質上この部分は研究と教育を同時に行う事はとても難しいです(というか、研究できない)。
その上で「会社の色」だとか「帰属性」とかに重きを置かない考え方に企業の側も慣れる必要があります。新入社員教育を各自自前でやっていた時代はその間に会社の色に染めることを前提にしてましたが(これがあると、社会的に、法的に許されないことでも会社の中では許される気がする)、染める必要が必ずしも無いのだということを認識する必要があります。どのみち自分以外の人は全て他人です。組織の中であっても同一の人物はいません。共通認識は「同じ人間である」ということを前提においちゃまずいでしょう。
その上で「新卒」の人間が「内定」して「新入社員」として入ってくるという常識を捨て去る必要があります。なので、私はこのニュースはいいことだと思っています。
なになに? 楽して生きる手段が無くなったって?
ほう。死ねば。