SFというジャンル

SFという商品は見た目からではおもしろさが判らないのでストーリーや見かけにばかり力を入れて、いつしかSFのおもしろさであるところの「仕組み」からは作り手の興味が薄れてしまった……という話は、なんか、どっかで聞いた話ですねぇ(^^;)。


それはともかく。
私自身は創作系のSF者なので、SFというジャンルにたいそう思い入れがあります。いろんな定義はあるのですが、私が知りうる限りSFというジャンルはぶっちゃけていうと「世界に感情移入する方法論」のことなので、それが小説でもいいし、アートでもいいし、単なる出来事であってもいいと思っています。というか、「Science」なんてつけておきながらそれが「自然科学」に立脚している必要すらないというか。ただ、世界に思い入れるためには現実と地続きである自然科学を使うと感情移入しやすいのでたまたま自然科学的方法論(SF用語で言うと「外挿法」)で表現することが多いです。
なので、この定義に乗っ取るとどんなに科学をネタに使おうとも感情移入するポイントが「世界」じゃない作品はSFではないですし、どんなに自然科学的にあさってなことを言っていても感情移入するポイントが「世界」だとSFです。「はやぶさ」がSFファンの集まりの投票で「星雲賞 自由部門」を受賞しちゃったりするのも、「動物のお医者さん」が危うく「星雲賞」そのものを受賞しちゃいそうになる(これは慌てて食い止められた。食い止めなくていいと思うんだけどなー)のも、SFファンの共通認識を象徴してますね。
例えば、「クドわふたー」が科学技術に立脚したストーリーだからと言ってあれをSFとは思わないです。作者たちもSFとは一言も言ってないしね。同じKeyの作品でも「Planetarian」はSFでしょう。これまた作者たちも「Key初のSF」とうたってますし。
SF者が「自分の作品はSFである」と言い切るのには結構勇気がいります。「ひとたびSF者に誓いを立ててなりし身は、死して後もSF者」*1なので、「自分のSF観」が他のSF者に嘲笑されるのを常に恐れています。ま、恐れているような人は滅多に間違わないんですが。
むしろ、非SF者がSFの上澄みの部分だけを見て「これはSFです」と平然と言うことの方が多くて、これの方が痛いです。未来だの宇宙だのが舞台であれば何でもSFかというとそんなことはないのですが、「スターウォーズ」のおかげですっかり浸透と拡散が進んじゃって、「見た目SFっぽい」ものをなんでもSFと呼んでしまうのがね。
プロパーSF者としては「見た目SFっぽい」でもきちんと楽しみますよ。基本、SF者って雑食なので。でも、その上で言います。「これはSFではない」と。何も、SFじゃないからつまらないなってことは言いません。SF以外にもたくさん楽しいものはあります。ただ、SF者は「SFを楽しいと思ってしまった」という原体験があるので、その方法論を思わず求めてしまうという傾向があるのです。


話が拡散しすぎました。
ええと、というわけで、私はプロパーSF者です。それも創作系の。
なので、なんか作っているといつの間にかSFになっています。燃える展開だのラブストーリーだのを書いていても、いつの間にか「世界がひっくり返るような認識の転換」を求めてしまいます。いつぞや「何を書いてもアクションシーンで落ちがつく」という話をしましたが、アクションシーンを書くのは大好きですが、そのアクションによって「世界の認識が変化する」という展開がないと書けません。世界に感情移入するということは、「世界の認識が変化する」こと以外のクライマックスはあり得ませんから。
もっと言うと、広い意味での「SFである」ことを自分の創作物すべてに求めています。そこには、すごいカタルシスがあって、そのカタルシスはたぶん普遍的なものだと信じているので。たまたまSF者は「それ」に意識して気づいちゃっただけで、SF者じゃなくてもカタルシスは等しく訪れると思います。
もちろん、SFだからといってストーリーやキャラクターがいちゃいけない理由はどこにもありません。ストーリーやキャラクターはあると見た目わかりやすくていいですね。でも、それは本質じゃない、とどこかで考えています。


と、思うん、だけどなぁ。
私の話は理屈っぽくてわかりづらいそうです。うーん、基本、書いてるのはかなりプリミティブなエンタメなんだけど。

*1:ボーイスカウトの誓いを歌にした「永遠のスカウト」が元ネタ。好きなネタなのであっちこっちで使ってます