肉体の軛を解かれて天上へ、もしくは接続されなかった男

「だからさー、人間、ドライビングシートに座った瞬間からそれは一個の生命体ではなくて機械と共生するサイバネティックな存在になる訳よ。わかる?」
「何ですか、藪から棒に」
「目的地を設定するのは人間の側、人間の何百倍もの力を制御し、10倍以上の質量を決められた道にそって進めていくのも人間。だけど、その運動のほとんどは人間よりもずっと熱効率のいい内燃機関が化学エネルギーを運動エネルギーに変換し、運動エネルギーは少ない摩擦を持ってその方向を制御し、結果として共生体はその目的を達成することになる」
「共生ったって、自動車の側にはメリットはない訳じゃないですか」
「双方がメリットを享受するから共生とは限らないよ。一方通行の寄生であったとしても共生には違いない。何よりも自動車は生きつづけなければならない積極的な理由はなく、子孫を残さなければならない理由もない。あくまで走るために生まれてきて、走らなくなったらその生を全うするだけだ」
「その理屈で言うと、人間と真の意味でWin-Winの関係にある共生体は少なそうですね」
「例えば生物は生きつづけようという種としての遺志がある。個体が生きつづけようという遺志があるかどうかはわからないけど、長い歴史の中で種としての遺志があるものだけが行き伸びてきたという結果がある。その結果を肯定するのなら種は生きようという強い遺志があるものだけが生きる価値を認められ、種としては生きようとする遺志の弱いものは淘汰されてきたわけだ。同じことがなぜ自動車に対して言えないといえる? 日野はなぜ自社生産の道を諦めた? プリンスはどうだ? スバルはいつまで持つ? マツダはどうだ?」
「会社自体が車という個体に対する種であるのなら、そこには経済活動という淘汰圧力が働いてる訳ですね」
「それに比べてコンピュータとの共生感の弱さはどうだ。インターネットにつながっているという目的を実現するための道具と化したコンピュータは自動車のような共生関係にあるとは曰く言い難い」
「インターネットという目に見えないものと個人は共生関係にありますけどね」
「インターネットは情報を流すただのハブだ。実際にはインターネットの向こう側のどこかにあるサーバーであり、サーバー内の情報であり、ノード間を共有しているデータベースが人間との共生関係にある」
「それはいいんですが、なんで急にそんなこと言い出したんですか? また何か嫌なことでもあったんですか?」
「お前は察しがよすぎるよ。なんでコンパイラと人間は共生関係になれないんだろう。キーボードやディスプレイやOAチェアは自動車のように体と共生している気分にならないから、人はドライブに出かけることはあっても息をするようにプログラムを組む事ができない」
「あー、わかりました。つまりあれですね。つかれたんで腰が痛いからディスプレイに向かいたくないと」
「・・」
「Network is Computerと提唱していた旧Sun Microsystemsの人たちは、ワークステーションによる肉体的障害の存在に気づいていたのでワークステーション1台に付き必ず1枚正しい姿勢と1時間に1回行うストレッチの方法をシートとしてつけてましたよ」
「うーん、そうじゃないんだけどなぁ」
「たとえRecaroのシートに腰かけて、ディスプレイの位置をうまく調整した処で自動車と同じレベルの共生感は得られませんて」
「椅子のせいじゃないのかなぁ」
「とりあえず、表に出てきてはどうです? 息の詰まりだけは治りますよ」
「・・はい」


うまく動かないなぁ>作ってるプログラム
これは脳と接続された処で変わらないんだろうな。とほほ。がんばります。