作文の授業

昔々のその昔、まだ元号が昭和だった頃、国語の時間の定番といえば「作文」「読書感想文」「小論文」でした。
小学5年当時、B5の400字詰め原稿用紙の束を一月に何冊も消費し、「もしかしてこれは文字が大きすぎるのがまずいのでは無かろうか」と5mm方眼のルーズリーフに切り替えた(極端だなー)経験の持ち主としては、作文なんかもう余裕過ぎてあくびが出るほどでしたが、当時の私と同程度の文章量は今のゆとり世代の人たちは携帯メールやミニブログで書いてるんだろうなー、と思うと「活字離れ」がいかに嘘かがよくわかりますね。書籍や新聞の売り上げが落ちている(ほんとかな?)としても、書いている量も読んでいる量も、この10年で飛躍的に伸びているでしょうし、書かれた文章に対する読者比率も増えていることでしょう。
こんな、特に話の種にもならない場末のブログに1日100人くらいはあちこちから見に来る(定期読者は数人みたいですが)くらいなので、同人誌を50部完売するのがやっとだったあの頃を思うと夢のようです。


えーと、閑話休題
文章力なんてのは内容はともかく書いていれば自ずと高まるもので、無意識に垂れ流していても、「意識して書くときの力」はついて行きます。もちろん、人に見せたりするのであれば「意識して書く」必要がありますし、その上で「何を見せるのか」「どのように見せるのか」「どの順番で見せるのか」を制限文字数以内で納めるにはそれなりに訓練がいります。が、いつでも訓練じゃなくても、前言語的な感覚(言語を操るのにこんな言い方は変ですが)が備わってくれば、いざというときに役に立ちます。読書感想文とブログでの無遠慮な作品に対する批判はかなり地続きですし、くだらない日常と私小説の境目は曖昧です。
今時の国語の先生は、20年前の国語の先生とは違った意味で生徒の書いた文章を読むリテラシーが必要になってくるんだろうなぁ、と、思います。作文の授業なんかやったこと無いけど。