日本国憲法第27条

(1)すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
(2)賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
(3)児童は、これを酷使してはならない。

シンプル。
「この借りは高くつくぞ」「いくらでも働いて返します。何せうちは労働者の国ですから」・・とまぁ、ソヴィエトギャグは置いといて(馬車馬戦記ですよ、元ネタは)。


それはさておき。
勤労は、なんと「権利」なのですよ。ついでに「義務」だったりして。これが教育になると、

  • 第26条

(1)すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。
(2)すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育は、これを無償とする。

わかります? この違い。教育と違って労働は当人が権利を持ち、ついでに当人が義務を負うという何とも不思議な条文になってます。
お金持ちの人が労働しなくても生きていけるから、と労働の権利を放棄すると、労働の義務が追い打ちをかけるという。ただし、実際の罰則はありません(というか、憲法に罰則規定って基本的にないはず)。不労所得があっても可。でも、ようは、国としては国民に「自らの意志で働く必要があるのだ」とこんこんと説いている(精神的規定、というらしい)のですよ。「自らの意志で」ってのがみそね。「働く必要がある」上で「自らの意志で」という前提をつけると、やっと「職業選択の自由」というところにたどり着けるのです。
ようは、国が強制労働をさせたりすることを容認してるんじゃなくて、どんな職に就くこともできる(少なくとも、表向きには妨害すると国に怒られる)ということを保証するためには最低限「働く意志」がないとだめだよ、と戒めてるのです。
実は、占領前の戦前の大日本帝国憲法にはこの規定はありませんでした。権利もなければ義務もないという。あ、「公務員になる権利」だけは明言されてます。変なのー。


日本国憲法が、占領下における憲法であるというのは歴史をひもとくとわかるとおり。もちろん、民主主義を伝道するために占領したアメリカの人たちが憲法の改正を禁じる訳もなく、占領の最中だろうが占領後だろうが憲法の改正はいくらでもできるようになっています。
でも、憲法が実際に改正されたことは今のところ有りません。冷静に考えると明らかにやばい9条もそのまま60年持ってます。いや、交戦権を一方的に放棄するって、攻め込んできた人に言っても通用しないから。とはいえ、現実的に考えると本当に攻め込まれるとまずいので、杓子定規に憲法の規定を当てはめるのではなく、「自衛しちゃいけない」とはどこにも書いてない・・と逃げてるような有様。いや、「交戦権」自体が否認されちゃってるので、自衛のためでもだめなんですけど。
平和な時代に生まれてラッキーだとは思いますが、有事が起きる前にここだけでも改正すべきだと思うんだけどなぁ。
ちなみに、アメリカの素案は今よりもっとアグレッシブで「土地と財産は全部国のもの」「国民はそれを使う権利を持つ」なんてな条文があったらしいですが、さすがにそれは実際には公布されませんでした。どこの共産主義国だよ(笑)。