ソーシャルギアーズオブウォー(社会/戦争の歯車)

知人で自己紹介を「社会の歯車(ソーシャルギア)です」と言っていた人がいました。うまいなぁ、と感心することしきり。
望むと望まざるとに関わらず、人は多くの場合社会の歯車の一部です。うまく回らなくなればその周りは滞りますし、壊れても換えが効きます。マルクス先生の共産主義革命とは「社会の歯車である」ことを自らが肯定する行為に他ならなかった・・のですが、「誰かの歯車である」ということばかりが取り上げられちゃいましたね。同志スターリン、同志レーニンが悪いとは思うんですがねー(でも、同志)。
宮崎駿が若い漫画家に初対面で「君は共産党に投票したか?」といきなり聞いたという故事もありますが(しかし、とうの宮崎駿共産党には投票してなかったらしい。だって、ねぇ)。


「ナンバーワンにならなくてもいい、誰もが特別なオンリーワン」という歌詞を聴くと反吐が出ます。共産主義が肯定してるのはそんなことじゃないんだよ。
産業革命からこっち、工学という考え方が社会を動かしているのは、効率を求めるためにはいろんなものを代替可能な状態にして、計画とどうずれてるかわかっている状態にしておかないとならないというそれだけの理由であって、他人と違うことをことさら大きく取り上げるものでもなく、かといって代替不可能なものは使いづらいのでなるべく代替できるよう規格化を進めて、それを人材にも当てはめているってだけなんだけど。
自らの能力を高めなくてもいい、怠惰な生活を送ってもいいいい訳として「どうせ一番になれないから」を使うんじゃなくて、「一番になれない」ことを肯定した上で自分の存在理由を自分で作って満たさないとレーニンスターリン共産主義みたいに壮大な失敗に終わるのになぁ。
え? ソヴィエト? あんなの失敗に決まってるじゃないですか。グローバル化が叫ばれ、格差が問題になっている日本も順調にソヴィエト化が進んでいていやんな感じ(格差を公費でなんとかしようとしはじめると、急速にソヴィエト化がすすむ。その方が楽だから)。
共産主義者選民思想強く見えるのは、選民思想が透けて見えるぐらいの求道者じゃないと共産主義革命後に堕落するからです。やだなー、いまの緩やかな共産主義革命。マルクス先生、絶対こんなの望んでなかったと思うんだけどなー。