出なかったゲームの思い出

今日は、ちょっとセンシティブな話をします。センシティブなので、当時を類推できるような固有名詞や一般名詞は出ません。あくまで思い出です。コメントされても返せません。


当時私は頼まれてゲームを作るディレクターでした。いや、今でもそうか。今と違うのは頼まれて「作る」の部分がメインなので、ディレクターというより「プログラム監督」でした。実装部分がメインね。「どんなゲームにするのか」はもっと偉い人やデザイナーや頼んできた人が考えるもの、と、なっていました。頼んできた人も、デザイナーも私なんかみたいなぺーぺーよりもずっと経験豊富で能力がある人でしたから。
なので、定期的なミーティングも偉い人たちがいろいろ語るゲームのイメージを聞き取って仕様や実装に落とすのがメインでした。ただ、この人たちがイメージしているものがあんまりにぼんやりしていて、いつまでたっても固まった仕様にすることができず、時間ばかりが過ぎていくのが非常に怖かったのを覚えています。
とはいえ、「雇われディレクター」のくせに私の頭の中にはかなり明確なイメージができていました。ゲームセンターで繰り返しプレイさせて進めるタイプのハック&スラッシュRPGローグライクで、ネットワーク(店内もしくは全国。足りなかったらAIが補う)越しに1回10分くらいのセッションを繰り返し遊ぶと、何となく世界観やストーリーがぼんやり見えてくるという。アンビエントがほとんど無く、ディフューズ深めでよく見えないけど、魔法やたいまつの点光源で浮き上がってくるモンスターや背景という画面も、一見地味だけどお化け屋敷みたいでいいかなー、とか。日本風のライトなゲームというよりも洋ゲー風味ですね。
私の頭の中のイメージを具現化しちゃっていいもんだか、偉い人たちの話を聞いたもんだか悩んでいるうちに良くわかんないプロトタイプはできあがり、元請けにだめ出しされ、デザインの路線変更があり、私はプロジェクトを外され、残ったのは超ハイクオリティのデザイン画と、超ハイクオリティの音楽と、なんか良くわかんない仕様書だけでした。


いまでもあの超ハイクオリティの音楽を聴くといろいろ思い返されます。当初のイメージに合わせて作ってたらどうなっただろう、偉い人たちの話をもっとうまくまとめられたらどうなっただろう、路線変更したあとのデザインでうまくいったのかなぁ、とか。
ちなみに、私が当初考えていたのとそっくりのゲームはその後別の会社が出して微妙にこけていました。だめだったの、のかも。