卒業研究の話(http://d.hatena.ne.jp/Florian/20090802/1249223727)

標準化されたスケール、いいですねぇ。
<そうそう! 先生がつくっちゃえ! 日本初だ!

日本一、すなわち、世界一ごわす。……という伝説的台詞を思い出す今日この頃。
学部の学位論文で世界が動くとも思えませんが、自分の周りという小さい世界でも少しかえられればとは思っています。
と、いうのも、

研究が皆無とは以外ですね。検討しなくても売れてるんだー!と絶好調な市場
ということなんでしょうね。

ここなんですよねー、腑に落ちないのが。
ゲーム業界は一時期のマーケティング偏重な流れも薄れてきて(マーケティングしたものは、あんまり売れなかった)、わりあいみんな検討するのをあきらめちゃったんじゃないかという節があるのです。
ゲーム業界もいいだけ長いので、過去のリメイクと続編だけで食べていける時代になり、面白いとは何かをまじめに考えることが減ってきている気がします。そんなくだらないことを考えるくらいなら、ありものを組み合わせてゲームを作った方がなんぼか売れるというか。

ゲームしたあとに人格が変わっていたら面白いだろうなあ
(ふとどきですね、ごめんなさい)

現代社会において、統一的で力動的な人格という物語を想定するのは難しいですよ(と、早速習ったことを使ってみる)。
与太話はさておき、人格をペルソナの一種として考えるのであれば、ペルソナを構成する経験を呈示できるだけでも成功ですね。よく使う「やくざ映画を見た後は肩で風を切って歩く」というたとえに象徴されるように、ゲームもリアリティを持った経験の一種として受け取れるのであれば、十分測定の価値はあります。
ちなみに、ゲーム嫌悪派の「人格に影響あるからダメ」という言い方は一種的を射ていて、小説や映画よりもゲームの方がずっと影響あるのは確かです。ゲームはリアリティに対するメタレベルでの理解を要求しますから。ちなみにこの意味では、プログラミングや数学の方がもっとメタ理解を要求しますが、数学をダメという話は聞いたこと無いですね。

評定者が必要でしたら、協力しますので、気軽に御連絡を〜。
被験者だと、ハズレ値をたたき出すか、年齢のSDをあらぬ数値に
しちゃうと思いますので(苦笑)

年齢はさておき(^^;)、被験者をたくさん募る予定はありますのでふるってどうぞ。フリーゲームとして宣伝すればゲームに飢えた層が引っかかるだろうし。
問題はサンプリングに偏りができること。この際仕方ないか。

おもしろいの定義・・・・・・
うーん、実験を用いるとゲーム前後でストレスが減る、抑うつが減る、不安がへる(これは標準化された尺度がある)。

目的と理由を取り違えてはいけないと思うのですよ。「ストレスを減らすために」ゲームを遊ぶのと、ゲームを遊んだために「ストレスが減った」は因果関係が逆転しますし、本当に面白いゲームは、実は凄いストレスを要求します。
なので、「面白い」を軽く定義するとひどい目に遭いそうな気がします。なんとなく。
何より、仮説がさくさく棄却されたときの衝撃を今のうちに構えておいた方がいいかなーって気がします。ほら、一応クリエイターなので、仮説は今まで使ってきた方法論そのままですから。