One Console Per Child(http://d.hatena.ne.jp/abee2/20090608/1244399175)

私的代弁者:「我々はもう一度考え直すべきです。皆さんにもわかっているはずだ」

あくまで個人的な話をします。
私の中でのコンピュータはゲームであり、コンピュータである限り、それが人の作ったソフトウェアであろうと、自分で作ったソフトウェアであろうと、他人の考えたものを具体化したものであろうと、私にとってはゲームでしかありません。
ゲームというのは創造的な行為を大きく含みます。インタラクションの内側には無限と言っていいだけの可能性が広がっており、それはただ一つ「楽しむ」という目的のためだけに存在しています。
ただ、この「楽しむ」という力は非常に強く、得にインタラクションをその原理上含むフォン・ノイマン型コンピュータと、そのプログラムは、こと「楽しむ」という点においては他の娯楽を優に凌駕すると思っています。なので、他の娯楽はいつでもゲームをなかったことにしようと躍起になっています。これは、虐げられている側からのひがみではありません。あえて言うのなら、優越感です。
ただし、フォン・ノイマン型コンピュータを本当に遊びきるためには、プログラムされたものをなぞっているだけでは圧倒的に足りません。どんなコンテンツを持ってこようと、自らの手で状態機械を作製しないと、本当のゲームにはたどり着けません。
なので、須くコンピュータを使う者はプログラムを組むべきだと考えています。
ClassmatePCでは、JavaSDKやVisualStudioを動かすにはちょっと力が足りません。OpenOffice.org calcですらも重いでしょう。でも、まだまだプログラムを組むための方法はたくさんあります。それこそSqueakやScratchのようなビジュアル開発環境だってありますし、いざとなればFireFoxFireBugでブラウザ内でプログラミングすることだってできます。とくにECMAScriptはブラウザ戦争のおかげでどんどんパフォーマンスが上がっていますし、プログラムを組むには最適ともいえます。
教育カリキュラムを組んでいる人間、もっと言うと、その先につながっている学問に携わる人間は、必ずその学問を「楽しい」と思っているはずです。文学には文学の、数学には数学の楽しさがあり、それを啓蒙しようとみなが躍起になっています。
しかし、それを優に凌駕すると思われるゲームに引っ張り込んでまずい理由がどこにあるでしょうか。おあつらえ向きに、標準化されたコンピュータが標準化されたOSと標準化されたHTML+ECMAScriptのブラウザを載せて、全児童に行き渡ろうとしているのですから。

私的代弁者:「俺の夢はね…この創造空間にあると思いたい…」

プログラムを組みましょう。いえ、彼らにプログラムを組ませましょう。手始めはほんの些細なことからでもかまわないので。
今がチャンスだと、正規の教育カリキュラムからははじかれた(でも、訴求力だけは抜群にある)ゲーム畑の人間は、まじめにそう思うのです。


(余談)
あー、でも本当はECMAScriptよりも、Flashよりも、Javaの方が引き込みやすい上に逃がしづらいんだけど、ClassmatePCではJava6はちょっと重そうだなぁ。NetBeans使えないとデバッガも使いづらいだろうし……。いっそAndroid+セルフ開発環境のPCなんてのがあれば……。