マインドマップとFrieve Editorに対する個人的な理解と使用方法

コメント書いていたら、とんでもなく長くなったのであきらめてトラックバック
書籍1冊と、ネット上からあされる情報だけなので、MindMapに対する理解はあまり深くありませんが、いろいろとさわった感触からですが。
ちなみに、Frieve EditorでMindMap風に書くには以下のようにします。

  • 最初にある「No Title」を編集前に「ルート指定ボタン」をOnにしておく(それ以外のカードは「ルート指定ボタン」をOnにしない)
  • Tree(Radial)にして、常にArrangeをOn
  • 「本文」を書かない


「人間の記憶/思考は連想を基本としている」というのがトニー・ブザンのMindMapの根幹に位置するアイディアだと思います。
なので、可能な限り連想をストレスなく吐き出し、はき出しただけですでに俯瞰しやすい整理済みの状態になっているというのがMindMapの書き方としてあるようです。このために放射状に書いたり、いちいち読まなくてもわかるような絵や図、色などを駆使して俯瞰の助けになるように「書く段階で」しておく訓練が必要なように思われます。
MindMapにおいては、書かれてしまったものはあくまで俯瞰の対象であり、これを元に追記することはあっても、書いてしまったものをわざわざ消したりはしないようです。また、連想を放射状に連ねていくと、あたかも「階層構造のテキスト」のように見えますが、実際には階層にはなっていません。というのも、どのレベルのノードが意味的に何を表しているのかを定義することはできず(しちゃったら、連想自体がそこで止まっちゃう)、結果として「大項目」「中項目」「小項目」という分け方(アウトラインと言うべきなのかな)はMindMapには立ち現れてきません。
人間の頭はあんまり短期記憶でいろんなことを同時に考えるのは得意ではないっぽくて、連想の階層が深くなればなるほど何考えていたのかわからなくなるのを、MindMapのような「記法」で外部記憶として補うというのがどうやら重要みたいです。


ただ、MindMap自体は所詮「記法」でしかなく(だって、「記法」を目指してるんだから当たり前なのですが……)MindMapが何かを考えることはありません。また、MindMapは連想から導き出される非常に個人的なものなので、各ノードのタイトルだけ見ていても他の人には全く何を言っているのかわかりません。
なので、書いている最中の感触はかなりいいのですが、いかんせん人に伝えようとするといろいろ面倒なことになります。
「MindMapは考えない」のは、ある程度書いたところで俯瞰することによって、何となく「次に書くべきこと」が見えるので、まぁ、さほど問題はないでしょう。特に、コンピュータ上でのMindMapは書き足したり消したりすることもできますので、履歴さえ残っていれば中身に関しては気にしなくて大丈夫そうです。
ただ、「人に伝えるのが面倒」なのは、どうにもならないです。どうやら人間の論理に対する入力機器は一次元的なので(正確には、「一次元的な入力機器になれてしまっているので」)たとえば文章のような一次元的な形に、思考をシリアライズする必要があります。
このときにはじめて、自分の思考の中身を意味づけられたレベルごとに階層化し、階層の中身を埋めていく作業が必要になります。階層化された内容は割合読み取ることを皆訓練していますし、階層さえあればその出てくる順番にはさほど意識を払わないようです。
むしろ大変なのは、階層化されていない一次元的な文章。これがもう、前方参照しか行えない1パスのC言語よろしく、定義とそれに対する説明と、定義したことを片っ端から忘れていく人間の思考への布石と、なるべく文章のはじめの段階で感じたカタルシス(「理解した!」という気分)を最後まで持続させつつ、できれば文章の最後まで読み切った時点でもう一度カタルシスが感じられれば印象が強くなる……なんてなテクニックを駆使しないと、全然伝わりません。
結果として、ビジネス文章などは小説のような階層の存在しない文章はいやがられる傾向になります。アウトラインでもどうせ正確には伝わらないのですけど。


で、Frieve Editorの話です。
これで結構感心したのが、ArrangeとViewの機能。
どうやらFrieve Editorは「できあがった図」にはあまり重きを置いていないようで、読む人が動的にArrangeやview(特にLabelのshowとSize limitationをして興味外のものを消す)をやりながら、どこから読むかを自分で決めていくというスタイルのようです。
というのも、Viewはまだセーブ対象になるのですが、Arrangeはセーブ対象にならないのですね。そのうえ、各カードは位置を手動で変えても「文章に変更があった」とは見なされません。これは、「すでにある文章は、自分でArrangeしながら動的に読み進めるものである」という意思表示であろうと考えられます。
さらに強烈なのが「Shuffle」の機能。もう、計算すらもせずに明らかにランダムに散らして、それが特定のルールで収束していく様を追いかけていくのが、思考を補佐するものであるという発送がかなりすごいです。「アニメーション」メニューに入っている機能も、全体的には「なんじゃこりゃ」というものばかりですが、動的に読み進めるということを補佐するためだけに存在するようですし(どこから読んだらいいかわからないのなら、どこから読んでもいいはず)。
Frieve Editorは、大きく言ってしまうと、「動的にしか探り得ないはずの自分の頭の中の連想構造を、動的に自分ないしは他の人が読み解く」ために作られているように思えるのです。
確かに、Frieve Editorの方法論を推し進めると、人間の思考、情報伝達のための枠組みは、「文字」というものが生まれてからずっとある足かせをやっと解き放てるんじゃ無かろうかという気がします。このためには、MindMap風の書き方自体も実際には足かせですね。連想は1方向にのみ進むのではなく、相互リンクもかなり多いはずですから。
でも、みんながみんなこっちに来てくれるかは、ちと難しいですね(^^;)。あきらめて対人向けの文章は1次元的に書いて、ミーティングやプレゼンするときの資料としてだけ使うのが正しいのかも。


ちなみに、アイディアプロセッサお宅の人たち曰く、「BTRON厨禁止」らしいです。なぜ(;_;)?