バイリンガルな頭

昔々のその昔、なぜかサマーキャンプに参加しにアメリカにいったことがあります。ほかにも日本人がそこそこと、日本人のサブリーダー(大学生)が何人か。
そのとき、約2週間ほど現地に滞在したのですが、結構奇妙な経験をしたのを覚えています。
元からヒヤリングと会話だけは度胸で乗り切るという可愛くない子供だったのですが(^^;)、そのうちほんとに思考自体が英語ナイズされて、過去文詞や関係代名詞を駆使した論理構造が頭に浮かんでしまい、日本語で日本人に話す際に口篭るという間抜けな流れになってきました。
ちょうど今がそんな感じでして、

というめんどくさい流れになっています。いきなり記述する言語で記号化すればいいものを、途中に中間言語のような何かが入り込むという。
だって、Smalltalkって、思考を記号化するのが妙に楽なんだもん。さっきのクロージャじゃないですが、処理とかを人の頭で追いかけられる程度の複雑さで記述しようとすると、抽象化の度合いがSmalltalk方面になっていくというか。
もっとも、実際には、FlorianはあんまりSmalltalkでバリバリコーディング、という経験はないのですけど。
この調子で関数型言語をやり始めると、思考に都合がいい脳内中間言語がそれに引っ張られて、さらに出力言語に苦労したりするんだろうなぁ(^^;)。


思考が言語に規定されるというある意味眉つばな学説の実例の一端を垣間見て驚いている今日このごろです。
あ、いや、もっとも、「思考」というか、「記号化」というかなので、実際どこまで規定されているかはわからないのですが。