アートコンピューティング・シリーズ第9弾「汽水域」(http://www.kazushi.info/modules/eguide/event.php?eid=11)

何せ、「アート」なんてのにはかなり無縁の生活を送ってきましたし、マスコミなどが外からアートを語る言葉の空しさに幻滅していたというのは確かにあります。
かといって、アートそのものにふれる機会を作ることも出来ずに今の今まで過ごしてきました。
機会としては、「知人のお話が聞ける」という目的だけだったのですけど、せっかくなので「アート」の現場に触ってみよう、という、大変気負った考えでイベントに参加しました。
いや、そこまで思い詰めなくても良かったのでしょうけど。

猫がかわいかったです。……ってそういう感想じゃなくてだな(^^;)>自分

個人的には本日一番のヒット。橋本さんの名調子(訥々と映像につっこみを入れる)が非常に心地よく、できあがったオブジェに非常に物語性が付加されていきます。
橋本さんは「作る課程ではなくて、できあがった物が重要」とのことでしたが、ほんのちょっとでも自分の手がかかった物に対する感覚によって、アートとして展示される作品が孤高の存在ではなく、自らの目線まで降りてくるような感触に変わるような気がします。
少なくとも、私があれを「叩いて」いたらギャラリーに置かれている不思議物体(いや、本気でできあがりは不思議物体です)に非常に感情移入すると思います。

コンピュータ言語の持つメタファを具体的な形で示して、第三の言語「プログラミング言語」の習得に対する新しい方法論を模索しよう、という話。
思考要素をあたかもそこに実在するように触ろう、というオブジェクト指向のはなしではなく、ほんとに「紙工作でプログラム要素」を表現し、それはもちろんプログラミング言語でも表現することが出来るという物でした。
とっかかりとして非常に面白かったのですが、以下の2点を詰める必要があると思っています。いや、個人的にも。

  1. 表現すべきプログラムの要素の洗い出し(今回は関数、フィードバック、インターフェース、を表現していましたが、プログラムを表現するのに必要十分な要素とは何かを)
  2. イメージと実体の乖離を乗り越えるための方法

ともあれ、非常に面白かったです。かつて、「電気回路」を理解するのに、水の高さとその時点での圧力という切り口から入り、結果として「電気回路と水の違い」を語るという方法論によって学習を進めたことを思い出しました。
もっとも、 Florian のアナログ回路の不理解っぷりから考えるに、このメタファーは誤りだったかも(^^;)。

数人による講座の内容発表。
教え子がICCに見に行って大変感銘を受けたというLib Liveの作者が来ていました。
……って事しか書くことがない(^^;)。なにせ、機材の関係でほとんど見られなかったので。

ほとんど漫才のようなコンビ(久原さんと田中さん)で、いろんな物を作って自然の中に置こうというプロジェクト。
ひとつひとつのプロジェクトは大変面白かったのですが、結果として何を目的にしているのかが今ひとつ判りませんでした。そして、この感触はこの先にもずっと感じ続けることになるのです(後述)。
「点光源は嫌いだから、面光源や線光源にするべくいろいろ細工を」という話を聞いて、「ビームサーベルを綺麗に作るには?」というプラモデル世代では常識っぽい話を思い出しました。アクリル板とかを導光板として使うんですよね。

  • 女子美術大短大部の授業の話(田中孝太郎さん)

ものすごく面白かったです。こういうの大好き!
ざっとだけさわりを説明すると、こんな感じです。

  1. マウスを分解して、構造と「どうすれば反応するか」を理解する
  2. 「ボタンを押すと進む」だけの単純なプログラム(QTやHTML)の上の、分岐しないアニメーションを、分解されたマウスを元に動かす
  3. バイスはマウスの形状をしていなくても可。

これを、プログラムも、下手するとパソコンすらも知らない女子大生に課題として与えて「何か」を作らせるという話です。
いろんな物があったのですが(女子大生の発想、いいなぁ)、最高だったのが、ディスプレイの上に「ふるい」を載せて、ふるいの中のマウスをとんとんと揺すると、ディスプレイの中に「雪が降る」という代物。ああもう、何でこんな事思いつくんだか。ゲーム業界に来ない?
伊藤ガビンさんも授業に関わっているそうです。

  • GREEの話(千原啓さん)

GREEの中の人(企画関係の人)のGREEの説明と、ネットビジネス(って、もネズミ講の話じゃなくて(^^;))と今後の展開について。
アートという感じではありませんでしたが、非常に面白かったです。でも、ソーシャルというか、ポータルというか、マスメディアとしてのネットワークコンテンツはいろんな意味で難しいですねぇ。

  • Wearable Synthesis(脇田玲さん)

ウェアラブルコンピューティングとファッションの境目の話。
ファッション(コーディネート)方面から、ウェアラブルコンピューティングの応用例を探る……という話、だったと思います。
思いますっていう曖昧な言い方なのは、結果としてよく分からなかったから。
発表者の方は、「こういう未来を元にお金儲けをしたい!」という明確なビジョンがあるそうですが(全然悪くないですよね。お金儲け)、結果としての未来のビジョンが見えないので、素材の提供を行いたいのか、明確な未来のビジョンを目指しているのかがよく分かりませんでした。「お金儲けをするためには、未来のビジョンは必要だと思うのだけど」という話は伺えましたが、結局その「ビジョン」の具体的な内容は判らずじまい。
ここでも、「アート」は結論を求めないものなのかなぁ、という印象が伺えました。

  • 時間と空間を編む(中西泰人さん)

ICCなどでいろいろな展示をしていた方のお話。
特に、「画像認識を行って、顔と認識できなくなった瞬間の写真を撮り、後で遠くでその結果を見せる」という展示が面白く、その瞬間に答えが出ない事によって印象を強めるという方法論が楽しかったです。
しかし、ここでもやっぱり、それによって得られる結論や目的は判らずじまいでした。


さて。
いろいろ聞いた今でもアートは苦手ですが、私自身が本業としていろいろやっている「エンターテインメント」と「アート」の境目が何となく見えてきたというのはあります。
「エンターテインメント」は、確実に結論を求めます。少なくとも、受け手が何らかの形で「エンターテイン」を感じるという事に対する非常に明確な論理や方法論が求められます。理屈を中の人が判っておく必要はありませんけど、受け手に与える印象や「エンターテイン」に関しては意識的である必要があります。
それに対して「アート」については、「アート」の実践者自身が明確な目的を明言しない傾向にあるようです。理由はいろいろあるのかも知れませんが、ひとつには、目的などを明言したり、それによって引き起こされる感情の変化を言語化したりすると「アート」本来がもっていたはずの何かが結果としてなくなるという危惧があるのかなー、と、はた目からは見て取れました。目一杯外しているかも知れませんが。
でも、そうであっても、はずしていても、割とどうでもいいと今の私は思っています。実際の精神的な実利(変ないいかた(^^;))に対するアプローチとしては、どっちがあってもいいかもしれない、とは思えるからです。
よしんば、私の感じた感想や推測が正しかったとしても、自然科学の領域における「理学」と「工学」くらいには両方存在意義はあるでしょうから。
なんてなことを、二次会の馬鹿話の内側で考えていたのでした。ビール、おいしゅうございました。


しかし、今回一番の収穫は、あの「藤幡正樹」さん実物にお会いしたことでした。フロッギーFですよ! ほとんど神様みたいな人が実際に目の前にいるとは……。ミーハーに名刺を渡して舞い上がってきました。よっぽど「なんか変なヤツが来た」と思われたことでしょう(^^;)。
そういえば、前に石田晴久さんにお会いしたときも似たようなことしたなぁ(^^;)。