謎解きの必要なゲームの需要

「だらよ」をちまちまやっています。
明らかにあそこのフラグでいいはずなんだけどなー、とか思いながら進めるのは懐かしい感じがします。「バイオショック」や「デッドスペース」なんかでも感じましたが、とりあえず力押しだけではどうにもならない感じが。
古くは「ZORK」あたりに端を発する(それより前は知らない。あるのかも)限りなくパズルに近い謎解きを、基本的に一次元で流れる時間(ただし、時間そのものは制御できる)で表現するというANOSというシステムは選択肢を総当たりでやればクリアできる古典的アドベンチャーゲームとはジャンルからして全然違うもののようです。一次元的に流れる時間というのはいまどきのギャルゲーに近いんですが。
で、考えます。
普段の私なら嬉々としてやるこのゲームを、思考もおぼつかない今の私は楽しむことができているのか。もっと広く言うと、一次元的にしか流れていかないゲームに慣らされているいまどきの人はパズルの部分は邪魔なのではないかと。
「だらよ」は感動的なストーリーを楽しむものでも、キャラクターに萌えるものでもありません(カコやセツナが魅力的じゃないって意味じゃなくてね)。あくまでパズルですし、パズルとして楽しむのが本道です。が、ここをストレスだと感じると人はついてこないのかなぁ、とか。
ゲームからインタラクティビティをとってしまうとゲーム以外のメディアになります。ついでに、別に、ゲームがゲームである必要はあんまりありません。
ただ、今の私のように思考力が著しく低下しているとゲームにストレスを求めないようになるのかも。それが一般的な趨勢に近いのかも。とか考えます。
思考力が落ちているなりに考えるのですよ。