戦争のリアリティ

戦争のない時代、場所に生まれてしまった以上、戦争について語るのは酷く曖昧な作業になります。
が、例えばアメリカのテレビシリーズ「コンバット」(小さい頃よく見てました)で、何かよくわかんないけどドイツ軍はとにかく悪の権化として妖怪のようなぼかされた書かれ方を見ては「これでいいのかな?」と思ったりしたのは確か。
近代の世界史自体には実はあまり詳しくないのですが、ヒトラーやその辺のえらくて電波な人たちがおかしな作戦を繰り広げて戦場がどんどん拡大したり難民がどんどん増えたりという不思議戦争や、日本の大本営の電波具合(何故誰も途中で「これやばくね?」と言い出さなかったのか)なんかと、実際の戦場での末端の兵士は電波具合がやっぱりずいぶん違う訳で、むしろ電波な人って戦場ではすぐに死んじゃうような気が。


戦略から兵站を通して戦場での戦術にまで降りる階層構造の中で、「戦争」ってどの辺にリアリティを感じるものなのか、というのはとても難しい作業になります。人間を書こうとすると戦場の末端を書くのが一番でしょうし、じゃあ兵站無くてもいいのかというとそんなことはないし、そもそもなんで戦争する羽目になってるのかといえば戦略的な何かというものがあって、様々なレベルで、様々な人間関係がいろいろ理由を持って渦巻いているとしかいいようがないです(ほんとは人間関係で戦争を動かすようなダメ軍隊はさくさく負けるのですが、それはともかく)。
とはいえ、昔、「機動戦士ガンダム」という作品を初めて見たときに敵の「ジオン公国軍」の人たちがやむにやまれぬ事情で戦争を起こしたり(で、当の戦争を起こすことになったジオンの家の人たちはもう残ってなかったり)、戦場でもそんなに直接悪として書かれていなかったりというのが、今度は「コンバット」とは逆に何とも不思議な感じでした。
戦争って、非戦闘員も巻き込まれるし(ガンダムの初っぱなのナレーションはしみじみ聞くとなんか凄いこと言ってる。「一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と地球連邦は総人口の約半数を死に至らしめた」……って、どんだけ(^^;))、だいたいガンダム自体がほとんど非戦闘員が仕方なく戦争に荷担する話なので、戦争ってなんだろう? 戦闘って何だろう? と、そんなことを思わず考えるのですよ。ビームジャベリン格好いいとかいう以前に。


戦争をリアルに感じたことはありません。戦争によって何かが変わることをその身に見たことも当然ありません。
ただ、のんきな戦争ごっこのゲームの企画書を見ると、「ちみね、戦争ってどういう状態なんだか判ってる?」と思わず言いたくなるのでした。判って無くても、それなりに。