未来描写のリアリティ

オタキングの岡田としおが「トップ2」の1巻目を気に入らなかったと言う話を聞いてなるほどと思ってみたり。

初代トップは微妙な未来なので、小松崎茂の書く楽天的で近い未来が細かな描写と一緒に書かれていたのが印象的でした。

真空チューブ高速鉄道「ウルトラひかり」と言われると「なるほどこれは新幹線なんだね」となるし、軌道プラットフォームにロープウェイで上る際に「気圧の関係で耳がつーんとします」と言われれば、気密は十分だけどそこまで厳密にしてない実装と言うのがうかがえて「リアル」と感じるとか。

外挿法として今の時代の延長線上にあるはずのなにかを提示すると言うのはSFの基本テクニックですので、別にこれ自体を責めるようなものでは全然ありません。いいよね、うん。

トップ2にそういう外挿を感じなかった、SFで言うところのニューウェーブ、映像作品だと「エヴァ以降」の文法しか見えなかったのは、まぁ、言われてみればその通りなんだけど、60年代SFの地球上の宇宙港のように見せかけて実は火星だとか、高緯度区域はテラフォーミングが進んでいないのでいつでも雪国だとか、リアリティの立脚点が「わざわざ直接借り物」にしてるのか「ひねた借り物(ブルートレインのB寝台なんかに郷愁を感じるのはかなり高度だ)」なのかは世代的に受け入れられないものはあったのかも。

オタキング的には「もっと露骨に、もっと科学考証」だろうし、鶴巻さんからは「イメージ優先。考証は見えなくてもいいし、媚を売るとこはそこじゃない」なんだろうなぁ。

と、もう10年も前に作品について今さら思ってみたり。そりゃ、「ウルトラひかり」で受けたし、「外回りリニア(これはエヴァか)」でも受けたけど、直接でなくてもいいかなーとは思う。

や、私は固有名詞に「ウルトラひかり」何て恥ずかしくて使えませんけどね。