喪失の恐怖

実は、今まったく味判りません。
いや、判らないというと違和感があるな。甘い、辛いなどの指標はあるけど、「ところでこれは美味しいか?」と聞かれると答えられないという。
なので、外食しても、名産品をもらってもありがたみが非常に薄いです(申し訳ない_(_ _)_)。「美味しい/まずい」という指標がないので。
これ、理由判ってるんですよ。ここ3年ぐらい、外食をほとんどせずに食事と言えばカロリーメイトだけで3食賄うと言うことをずっと繰り返してきたので、味に期待することをやめてしまったという後遺症だと言うことだと。
もちろん、今はカロリーメイトで3食なんて食生活はしていませんが、数年かかって失われたものが自然と治ることなど無く、昔の無駄に食べ歩いていた頃の感触など取り戻すこともできません。


いろんなものが見えていないと思います。美術に関しては昔からてんでダメだったので勉強して頭でっかちになりましたが、「どれが美しいか」は答えられませんし、同様に植物についても判りません。ほかの自然物も結構あやしいです。ダムやエスカレーターは美しいと思うけど、山の稜線を美しいと言えるかというと難しいです。
これが、ゲームとか音楽とかプログラムとか、明らかに専門の出来事についても徐々に判らなくなっていき、そのうち全ての虚無に飲み込まれる日が来るのではないかと恐怖しています。犬や猫をかわいいと思わなくなる自分を想像したくないです。料理だって、失われる前はたいそうグルメだったはずなんですから(たぶん。今となっては「美味しかった」という感覚すらもわからない)他のものだって同じことが起こらないとは限りません。
よくある精神異常の一種だと認識しています。ただ、そういう事実があるということを忘れてはいけないな、と今なら思います。ミヒャエル・エンデの「モモ」みたいな比喩ですね。