「電書雑誌よねみつ」を一気に7号まで読む

ゆっくり電書読んでられる時間なんか取れなかったので、この機会に。
最初3つの予言にあったことではないですが。
読んでいるうちに「記事」ではなく、それを書いている「筆者」の側を読んでいる自分に気づきました。「今回はあの人いないんだなぁ」とか「このひとはよっぽど**が好きなんだなぁ」と文章というメディアを通して見ているのは「電書雑誌よねみつ」という統一感のまったく取れていない(というか、取る気があまりない)まとまりの中でそれを書いている「人」で「内容」ではないんだな、と。
この感覚、少し覚えがあります。
末期の「Oh!X」が、ちょうどこんな感じでした。レギュラーライター陣が特集が変わってもまったく変わらないまま書いているので「この人は**についてこう切るのかー」「この人はあいかわらず**が好きなんだなー」とか内容(高度すぎて咀嚼するのが凄く大変だった。当時のOh!Xのレギュラーライター陣って、凄かったんだなぁ)をさておいてライターの名前を見るのが楽しかったのを覚えてます。
この辺りが、読者と作者の境目が揺らぐということなのかなぁ、とか思ってみたり。