さらば過渡期と言おう

ちょっと旧聞に属しますが……*1

何で異世界で役に立たないという予想が成り立つかというと、「フォン・ノイマン型ディジタルコンピュータ」ってすごい過渡期の技術だと思っているからです。
確かに

辺りはものすごく便利に使える世界の再構築方法だとは思うのですが、いかんせんレベルが低すぎて(これ以上小さくならないという意味でアトミック、と言うべきなのかな?)、高レベルな表現を行うにはちょっと足かせになると今でも思っています。なので、もうちょっと感覚に由来した表現を行う際にはこんなもの使わずに実現する方法があるでしょうし、結果的に「チューリング完全」であることを立証できれば実現方法って問われないだろうなー、と。
と、考えると、100年後にチャーチ=チューリングのテーゼを使って世界の再現をすることがあるかというとなかなか難しそうですし、じゃあ100年前にこの方法論を使っていたかというとそんなことはないわけです。数学というものを人間が発明してたかだか4000年くらいらしいですが、そのうち100-200年くらいの間にちょろっと使われていた技術がピンポイントに文化的文脈の異なる異世界に適合することは難しいんじゃないかなと思うのです。もし知識を持っていたとしても、それを実現する方法(例えばディジタルコンピュータ)がなかったり、そもそもずっと過去のものになったり(現在の未来予測で言うとDNA計算機や流体計算機や、還元主義から考えるとたぶん先に思いつくであろうバイオニューロネットワークや、ブール代数ではなく光の波動のフーリエ変換を応用した光学量子計算機など。もしかしたら、現在のマルチレベル回路がもっと進んで電圧で微分/積分するアナログコンピュータが復権するかも)して、あんまり役に立たないんじゃないかなと思えるのです。


もっとも、すごーくピンポイントにたまたま役に立つことがないとは言いません。最近だとなぜか80年代に活躍したアセンブラの魔術師が珍重されたり、ディジタルコンピュータを自作していた人が電子工作の流行に乗ったりとか、いろいろ揺り戻しがあります。が、歴史の中での出現確率200/4000、もしくはホモ・サピエンスの登場を分母にした200/150000に比べると十分小さいスパンだと思います。
SFはもっと広い範囲で認識を想像する必要があるんじゃないかと。


ちなみに、「数覚とは何か?」は現代の文明とは違う思考方法があり得るとしたらそれは何かというSF的な思考実験にはもってこいの本です。おすすめ。早川だし(ぉ。

*1:いつの間にかRSSリーダーからid:metanestさんが外れてて、「metanestさん最近日記書いてないなー」というぼんくらな感想を持っていたらしい