クドわふたー

そうそう。書こう書こうと思って忘れていたこと。
話の流れ上、ひたすら「ご飯を食べる」話になっています。手料理で「ご飯を食べる」という行為は「ラブラブあまあま」の重要なファクターですね。お約束のように肉じゃががたくさん出てきます。肉じゃがも「ラブラブあまあま」の重要なファクターでしょうから(たぶん。ものの女性向け恋愛指南書によると)。
なので、やけに「手を合わせて、いただきます」というシーンが多いです。クドに至っては専用の立ち絵すらあるくらいで(「所在なさげに手を合わせる」の体と「神妙」な顔の組み合わせだけど)。
いや、私もきちんと「手を合わせて、いただきます」しますよ。もう、それはずっと小さい頃から。ただ、この間入院したとき、食事のときには食堂に集まってみんなで食事をとるのですが(そういう病院だったんです)、誰一人として「手を合わせて、いただきます」しないんですよね。まぁ、確かに病んでてどうにもならない人ばかりだったので仕方ないとはいえ(これは、人のこと言えない)、それすらもできないようになったらかなりまずかろうというか。
なので、私より先に退院した人(体をこわす前の若い頃は農家をやっていたそうな)に、「 Florian さんは礼儀正しいですね」なんて言われて非常に照れたような記憶があります。礼儀正しいうちに入るのかな、こんなの。


そういえば、牧場に泊まり込んで牛の世話をしていた頃、泊めていただいたお宅の娘夫婦と孫が里帰りしてきて、一緒にご飯を食べるということを1週間ほどしていたのですが、その小学生のお孫さんたちにものすごく興味深い目で見られたのを覚えています。
「何でいただきますするときに手を合わせるの?」
なんででしょうねー。自分以外の何かに感謝してるんじゃないかと(クドっぽいよ、この頃の私!)。
「そうかー。(手を合わせて)いただきます」
というわけで、なんか妙な習慣をお孫さんたちに植え付けたあたりで彼らは帰っていきましたっけ。


ずーっと昔の幼少のみぎりはカトリックの幼稚園に通っていました。この幼稚園のせいで私の大変唯物史観的な宗教観は醸成されたのですが(おーい、全然教育間違ってるから、それ)、ここでは「天にまします我らの父よ。……日用の糧を今日我らに与え給え。……アーメン」という食前のお祈りをおやつの時間でも欠かしませんでした。
だもんで、中学くらいの頃、アメリカのYMCAがやっているサマーキャンプに日本から参加したときに「今日のお祈り担当」の当番で日本人の中で唯一食前のお祈りができました。無駄記憶力爆発って感じ。もちろん、アメリカ人は全く復唱できず、日本人も復唱できず(キリスト教系の人、いなかったんだなぁ)、最後の「アーメン」だけが残るという変な状況になってましたっけ。
ちなみに、ほかの日本人はおもむろに手を合わせて「いただきます!」と元気に誤魔化してました。や、正しいんだけどさ。
超どうでもいいことですが、今のカトリックは「天にまします我らの父よ」って言わないんね。2000年からは「天におられる私たちの父よ」が公式採用されてるそうな(wikipedia:主の祈り)。うーん、知らなかった。っていうか教会なんか行かないし。ほら、唯物史観だから。