パイディアのblogを更新しました(http://paidiainc.blogspot.com/2010/04/blog-post_19.html)

要ログイン(無料)の起業家向けのサイトです。昔からの知り合いが見ると「変わってねー」と納得できること請け合いです。時代を超える男 Florian でした(うそ、昔から老けてたの。やっと年相応の見かけに追いつきました)。


と、いうわけで裏話をいくつか。

  • なんか目線があってないんだけど

質問があらかじめ来ていたので超長文の返答原稿を用意していたのでした。それをちらちら読みながらなのでカメラ目線じゃないのです。人に向かってしゃべるのは簡単ですが、カメラに向かってしゃべるのは難しいということを思い知りました。プロンプターを用意すべきでしたね(大袈裟だなおい)。

  • パイディアの由来

ホイジンガからギリシャ語の辞書と首っ引きで(アルファベットが判らないので読みづらいことこの上ない)、かろうじて「PAIDEIA」と書くことまでは判ったのですが、このままではちょっと語呂が悪いので「ィ」と小さくしたのが今の社名です。ギリシャ語判る人に「こいつ間違ってるうぷぷ」と笑われる前に、念のため。わざとです。
うそ、詳しい人はもう少し教えてください。ギリシャ語判る人周りに一人もいなかったので辛かったです……。前の会社の名前(アイヌ語)は日常会話なら何とかなるレベルだったのですが。

マルクスの「共産党宣言」なんかで使っている言葉です。「ブルジョワ」という言葉と、「プロレタリアート文学」「小林多喜二」「蟹工船」なんかがセットで出てきますが、金持ちと貧乏という意味ではなくて、「雇い主と労働者」くらいの意味合いです(現に私はブルジョワジーですがびんぼーです(笑))。
ブルジョワジー側なのに共産主義に傾倒しているのは(「共産党宣言」においての予言ではブルジョワジーは打倒されちゃうことになってる)、払う側と払われる側という一方通行のやりとりじゃなくて、「払いつつ払われる」というもう少し牧歌的なフラット化した世界がくるだろうなぁ、という予想の元です。フラット化すると結果として「プロレタリアート独裁」と似た状態になって世界がもう少し見通し良くなるんじゃないかと。
とはいえ、社会的に「自分は人より偉い」ということを快楽として見なす(社会的欲求)が人間の本能のプログラムされているのなら、その本能を何らかの手段でオーバーライドしないと本来の意味での共産主義革命は難しいんですけどね。本能を理性でオーバーライドしてこその人間なんだけどなー。元にソヴィエトはそれで失敗したわけだし。

  • 収録時間

実は1時間以上ぺらぺらとしゃべっていました。良くあれを10分にまとめたものです。編集した人はさぞかし苦労したことでしょう。


さて。
起業する人に向けのメッセージですが、「起業しない人」へのメッセージでもあります。サラリーマンをやっていれば安泰という時代はもう終わってます。幸い、日本はサラリーマンを「サラリーマンでいさせようとする」力が強いので、しがみついてさえいれば何もしなくても給料が出る身分でいられます。が、当の会社そのものがさくっと無くなる可能性すらもある時代なので、サラリーマンであればどうにかなるというものでもないでしょう。
「じゃあ起業しよう」ではなくて、「自分を商品として企業に売り込む」ということをして欲しいなぁ、と。共産主義革命は緩やかに進んでいますが、まだブルジョワジープロレタリアートは対立軸にあるのは確かですので、自分がどれだけ高く売れるのか、自分をその企業が雇うと、その企業はどれだけの利益を得るのかをプレゼンテーションしてはじめてのそのスタートラインに立てます。
私はたまたま大企業に自分を売り込まなかった(直接仕事が来てたので、それをやっていた)というだけです。自分は商品。自分は相手にとって利益になるという思いは変わりません。
起業してもいいし、しなくてもいいけど、せめてその辺の世界の仕組みは判ってから働こうね、と、思います。何故か学校では教えないので。で、氷河期といわれてもなー。
もちろんこの考え方に則ると

  • 白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である
  • ネズミを捕れない猫が息をしていていいはずがない

という昔の中国の格言にたどり着きますが。息をしていていいはずがないんですよ。ただし、共産主義革命の世界ではこの格言をいう資格があるのは「自分」だけなので、宗教だの、外部からの評価だのに救いを求めちゃだめなの。ま、今はまだ共産主義革命は起きてないけど。