このゆとり!(ののしる言葉)

「ゆとり」ってひどい悪口だ。その上、年齢層を完全に固定しているので撤回することが出来ないという。「おまえのかーちゃんデベソ」みたいな感じ。1987年4月以降2002年3月以前の人がゆとり教育の犠牲者ですね。犠牲者ゆーなー。


閑話休題
元々「ゆとり教育」はなんのために行われたのかというと、「生きる力」を育てて頭でっかちの知識ではなく、地に足の付いた人間を作ろうという意図がありました。
ところが、ゆとりを持たせて、人間としての生きる力を「自主的に」(ここが重要)育成しようという意図がちょっと無理があって、結局学力低下だけを引き起こしてそれ以上の成果を上げずに終わってしまいました。もちろん、学校教育の内側でも「総合的な学習の時間」という時間が増えたりしていましたが、現場は結局有効には使いあぐねて(これは、正しいカリキュラムを提供しなかった文部省(当時)が悪い)、ひじょーに評判が悪いわけですが。
「頭でっかちではなくて生きる力を育てよう」という発想自体が間違っているわけではありません。ただ、文部省(当時)のカリキュラムはそれを実現できるようにはなっていなかったというだけで。休み増やしてそれにあわせて科目を減らして、使い道のない時間が増えて……で、実現できるわけはないですね。
実は、ゆとり教育の対極に位置するのが「受験戦争」「詰め込み教育」です。私は丁度世代人口が極大になる頃(男女ともに100万人。http://www.ipss.go.jp/pp-newest/j/newest02/3/z_5.html。最大は団塊の世代で男女ともに120万人)に生まれていたので、他人を蹴落として学校や会社に入るという生き馬の目を抜く時代を生き抜いてきました。
ただ、昨日書いたとおり、同じ知識を手に入れるのであれば詰め込みの方が効率はいいわけです。めいっぱい詰め込まれた私は基礎知識においてのみいうと、ゆとり世代よりも詰め込まれている量は多い可能性が高いです。
とはいえ、当時の私が「効率のいい教育を受けていた」という充実感に満ちあふれていたか、というと疑問です。もう、嫌で嫌で仕方なかったですよ。常微分方程式なんか何に使うか判らなかったのでひたすら「はいはい約分約分」(←間違ってるぞ、理解が)とこなしていましたが、大学に入ってから「なんか、聞き覚えがあるけど覚えてない」という事態になったりしました。
モチベーションが学問の探求ではなく「生きていくために仕方なく効率のいい教育」というものだったので、勉強自体は好きにはなりませんでしたね。これは、私と同じ世代の共通見解じゃないかな。


ただ。
おかげで勉強とは全く別にやっていた様々なイベントの方がずっと印象に残っています。

  • 読書会

中学の頃の友人+いろいろなところで知り合った人で「読書会」というイベントを定期的にやっていました。もちろん、教育委員会主催の県内の図書委員会の会合の時にも「読書会」が余興で行われていましたので、そのときにめぼしい発言をした人をナンパして雪だるまかスカラベのごとくごろごろとでかくなっていきました。学外の人と「文学」を介して馬鹿話をするのは毎回非常に楽しく、創作の糧になりました。

  • ボランティア

町の教育委員会がやっているボランティアの団体に属して、地域子供会のレクリエーションのサブリーダーにいっていました。夏休みや冬休みはキャンプだキャンプファイヤーだスキーだクリスマスだと小学生の相手をしていました。研修に1ヶ月に1回は行き、各地ボランティア団体との交歓会に行き、学外の友人が増えました。うそ。あんまり増えませんでした。男子校出身なので女の子と話をするのは苦手だったのです(ボランティアやろうという高校生は女性が多い)。それでも多少なりと増えましたが。
そうそう。生まれたときから5歳くらいまで一緒のアパートに住んでいた幼なじみが隣町のボランティア団体に属していたのですが、その幼なじみは私のテンションの高さに引いていました。いいじゃないかー、避けなくてもー。

  • 部活と生徒会と生徒会

漫画研究部の副部長で、数学部(パソコン部)の部長で、文芸部の部長でした。アマチュア無線部にも入りたかったのですが、免許取ってなかったしなぁ。あと、生徒会の書記を2回、副会長を1回やってました。ついでに図書委員(自薦で生徒会と掛け持ちできる)も掛け持ちしていました。
学内で知らない人はない有名人でした……けど、お友達は少なかったなぁ。放課前は特に。
もちろん、漫画を書き、ゲームを作り(プログラムと音楽)、小説を書き、印刷してはこれまた学外の部活に配ったりしていました。

  • 何故か友人の高校の映画研究会に入っていた

学園祭の時に遊びに行った友人のいる高校の映画研究会で、そこのメンバーと意気投合して「特別学外会員」としてしょっちゅう遊びに行っていました。なので、そこの高校の別のサークルとも交流がありました。
ほんとに遊びに行っていただけで何かを研究していたわけではないのですが(「漫画書いてるんだろ。ポスターにアンドロメロス書いて」といわれて困ったことはある)、大変楽しかったです。

  • シニアスカウト

ボーイスカウトの指導員としてシニアスカウトをやってました。けど、「引率」以上のものではなかったなぁ。

  • 同人ソフトを作っていた

同人ソフトを作ったり、投稿用のゲームを作っては没ったり、パソケットで売り子をやったりしていました。
あと、地方コミケにもよく行ってたなー。読書会の知り合いがサークル参加してたり、漫画研究会の学外の友人がサークル参加してたりしてたので。ただ、参加者のほとんどは女性だったので素晴らしいアウェイ感でした。オリジナル創作の人は少なく、アニメ・漫画のパロは興味ない作品ばかりだったので。少女漫画大好きだったので、少女漫画の二次創作があったりすると喜んで買ってたんですが、☆夜、翼、トムライサルーパーなんかは興味なかったからなー。

  • 音楽活動をしていた

ピアノを弾いていたので、バンド譜を無理矢理ピアノで弾いたり、ピアノ譜を弾いたり、作曲したり、ギターをやっている友人とアンサンブルしたり、DTMをやったりしていました。
音楽理論をやらないと」とEL&P小室哲哉のインタビューを読んで勉強したりもしました。楽典から始まって、ポップスのコード進行、和声学、対位法などなど。

  • コンピュータ

友人の家に押しかけてX68000アセンブラでゲームを作ってみたり、OSを作ってみたり、MMLを作ってみたり、オレオレコンパイラを作ってみたり、ゲームを作ってみたり、レイトレーシングのレンダラを作ってみたり、ゲームをやってみたり、プロテクトを解いてみたり、逆アセンブルをしてみたり。

いろいろやりました。RtoR、D&D、T&T、SW、ブルーフォレスト物語指輪物語、トラベラーなどなど。
でもボードゲームはあまりやらなかったです。相手がいなくてなー。「現代大戦略」とかは遊んでたんだけど。

  • 読書

年間100冊くらいは読んでました。買った本有り、借りた本有り、図書館の本有り。漫画も入れると年間300冊くらいは行くなー。だいたい立ち読みで。
ふくやまけいこ栗本薫が書いてる」というだけで人目をはばかりながら「ジュネ」を立ち読みしていたのもいい記憶です。「ファンロード」も立ち読みしてたな。買えよ、恥ずかしいなら。


勉強はともかく、モチベーションだけはいろんなことに強くて、その上で勉強を詰め込まれていたのでなんかよくわからないことになっていました。時間が全く足りないの。
ゆとり教育が当時行われていたらもっといろんなことをやってたんだろうなー。でも、詰め込まれてなければ本気で勉強しなかったかも。
当時の私は「生きる力」は無駄な経験でまかなっていたような気がします。でも、これを全学生に勧めるのはどうかと思うなー。


とりあえず、「生きる力」をつけるためにコンピュータに何となく興味ある人はとにかくGoogle Codeにプロジェクトを登録してオープンソースのアプリを世界に発表するだけで同じくらいの経験が積めますよ。小学生がオープンソースのアプリを作っちゃいけない理由はどこにもないです。レッツ開発! 「なんか作りたい小学生」がいたら相談してください。一から教えます。Scratchのプロジェクト数を見る限りではいないわけはないので。
(追記)
重要なことを書き忘れた。

  • ゲーム

アーケードゲームは言うに及ばず、PC、コンシューマなどありとあらゆるゲームに手を出していました。ゲームは心の糧です<この間、「音楽は心の糧」って言ってなかったか?
1980年代から1990年代中盤くらいまでのアーケードゲームはたいがい遊んでます(特殊筐体などのゲームは遠征してまで遊んでました。ナイストとか、ギャラクティックストームとか、S.T.U.N.ランナーとか。でもR-360のラッドモビールは結局遊べませんでした。筐体も原作のゲームも好きだったんだけど)。MAMEのromリストやドライバリストを見ると「それがどんなゲームだったか」がだいたい判ります。MAMEのソースはおもしろいですよ。サウンド周りはおもしろくないですが(だいたい似たハードウェアになる)、描画関係はメーカーごとに独自色があって。
コンシューマはめぼしいところと独自アンテナに引っかかった妙なものを重点的に。