ソースコード写経

オープンソースといえど、実行バイナリがあって、ついでにソースも見られるというこのバイナリマンセーな世の中に、ソースコードを写経するメリットがどこにあるのかという話になるわけですよ。個人的に。
ソースコードを打ち込むと一定の割合で混入するエラーとその原因を追及する課程で得られるスキルはやはり結構大きいと思えるのです。たとえロードランナーであっても(古い)、スクリプトキディであっても、写経の及ぼす教育効果は大きいかな、と。
プログラマーたるもの、タネンバウム先生のminix ver1.0のソースぐらいは写経しないとね。


とはいえ、OLPCのFedora11のソース全部を写経するのは無理あるよなぁ。かなり簡略化されているeToysですらも全ソースを追うのはちょっときつい。
私の時代のように、マシン語モニタのソースを元に学習を進めていくのはもう難しいかなぁ。当時、エントリーポイントだけ同じでスクラッチから書き起こしたBIOSなんてのを作ってたんだよね。
GoldenBoxはこの辺どうしてるんだろう?