リアルの所与

物語のリアリティを、「感情をドライブさせるもの」と定義している人がいて、ちょっとぎょっとしてみたり。
あ、いや、リアリティ自体は結果的に感情をドライブしますし(リアリティのない物語には、感情を駆動されない事からも明らか)、それ以外の論に関しては納得がいく説明が成されていましたが、いきなりそこを所与として認めると、かなりあちこちの議論がかみ合わないのでは……。
なぜリアルが感情をドライブするか、リアルとリアリティの違いは何かという事を詰めてからじゃないと感情の駆動というトラウマを直接刺激する話はしづらいように思えるのです。
それとも、私の外でのリアリティというのはすでにこの辺の面倒な疑問をすべて所与として受け入れる前提ができあがっているのかなぁ。うーむ、それはそれで怖いけど。


ちなみに、個人的には創作において外挿法によるリアリティの表現はもういい加減放棄しています。思ったよりも当てにならないんだもん、受け手の知識。
なので、携帯小説の持つリアル(この場合、現実に起こりそう、もしくは実際に起こったというふれこみのエピソード)は今の私にはどうやっても簡潔に書けそうにないです。一般向け携帯小説、やっぱり難しいわ。


と、蚊帳の外からこそっと言及。記事、すごい被言及数が多いので、怖くてリンクもできないよ(^^;)。