ゲーム感覚(http://japan.internet.com/column/career/20050902/1.html)
引用します。
- テレビゲーム的価値観というヤツ
- 物事を単純化してとらえる考え方
- リセットすれば全て元通り
- マニュアル通りにやればクリア
- 遊び感覚ではなく、真剣に取り組まなくては…(と、ゲーム感覚をたしなめる文脈)
- ゲーム感覚
- 確かにビジネスの中には、自分がしたことに対してレスポンスが返ってくるゲーム的感覚がある
- 特にコミュニケーションをゲーム感覚に頼っていては、いつかしっぺ返しがくる
どこでどのような使われ方をしているかは直接読んで頂いた方がいいので、解説はしません。
我々、コンピュータを生業にしている人間にとって自明な世界観察の手段があります。
- 世界は有限状態機械として解釈できる
もちろん、観察者の側から有限状態すべてを事前に挙げることはできませんが、観察だけではなく意志決定の足しとなるかなり有用な手段です。
コンピュータを生業としていなくても、同じ感触で世界を見ている人たちが居ます。それは、「ゲーマー」と呼ばれる人たちです。彼らはゲームに対して以下の方法論で臨み、その方法論自体を楽しんでいます。
- トライアル&エラーでブラックボックスの内部状態を探る
- 失敗を必要以上に恐れない
- 自らの行動に対する精度を、反復練習によって高める
- 自らの理解をもとに、再現性のある論理を構築する
- (娯楽のためには)決してあきらめない
元記事を書いた人にとって、ゲームは「暇つぶしのための娯楽」でしかないという意識があり、そのために「ゲーム感覚」という言葉にネガティブな意見を持っていると思われますが、対象がブラックボックスであるゲームか、ブラックボックスである現実世界かの違いでしかないということには気づいていないとも思われます。
「ゲーム感覚」であることの何が悪いというのでしょう? 現実世界でビジネスという博打を打っている人が「ゲーム感覚」じゃないとでも思っているのでしょうか。
書いた人がどのような方かは判りませんが、残念ながら私はこのような意見を表明する方(ひいては、その掲載を許した企業)を信用することはできません。